一家言ある人に、国語の問題は、辛い
お金のないヤツは、文句が多い。
お金のあるヤツは、文句が少ない。
10年以上前に、渡辺和博さんが「金魂巻(きんこんかん)」という本で、書いていました。
渡辺和博さんというのは、以前よくタモリ倶楽部に出てた方で、イラストレーターだったと思います。
で金魂巻というのは、金持ちを「まる金」、貧乏人を「まるビ」として、金持ちと貧乏人のものの見方を比べてみた本です。
冒頭の言葉は、要するに貧乏人というのは、言いたいことがいっぱいあるというわけですね。
私なんかは貧乏人ですから、言いたいことがいっぱいある。
でもって、前回書いたとおり、好き嫌いが激しい。
現代文のカリスマ講師・出口汪(でぐち・ひろし)さんの本の冒頭に、書いてあるはずです。
そうすると、どうなるか? と言えば、
国語の問題が解けなくなるんですね。
現代文のカリスマ講師・出口汪(でぐち・ひろし)さんの本の冒頭に、書いてあるはずです。
国語の問題というのは、あなたの意見を尋ねているわけではない。
国語の問題では、本文中に書いてあることだけしか問うていない!
国語の問題というのは、出題されている本文の中から、その意味や著者の意見を抽出しなければならないのに、自分の意見を混ぜてしまう。
自分の意見にあった答えは選べるが、自分の意見に合わない答えは、選びたくない。…そういう心理が働くんです。
なぜかというと、自分の意見に合わないことを書いたり選んだりするということは、とても辛いことなんです。
自分の意見に合わないことを、一時的とはいえ、受け入れないといけないわけですから。
少なくとも、何らかの抵抗がある。
ところが大学入試の国語の問題で出題される文章というのは、社会常識を疑うような文章とか、批判する文章が多かったりするわけですね。
「社会常識、一般通念としては●●だが、これは××である」
…という感じの意見が、問題の本文に書かれていることが多いわけです。
そうすると、社会常識に合致した答えを選ぶと、間違いになってしまいます。
そしてまた、著者と同じ意見だったとしても、自分の意見を付け加えてしまうと、間違いになってしまいます。
「わあ、この人、自分と同じ意見だ!」
と喜んで、自分の意見も混ぜてしまうと、テストでは×です。
『イイスギ』
『著者はそこまで言っていない』
と言う間違いですね。
国語の問題というのは、
あなたの意見を尋ねているわけではない。
本文中に書いてあることだけしか問うていない!
ここのところを、肝に銘じて、試験に取り組みましょう!