勉強法は、人によって効果のある方法が違う
勉強をするときに、ノートは作った方が良い。
ただし書き方は、自己流の方が良い。
人によって、覚えやすい書き方というのがあって、他人の書き方が自分に合うかどうかは分からない。
だからマインドマップでも、メモリーツリーでも、東大生のノートは皆美しい式でも、なんでもいい。
これは、語呂合わせなんかでもそうだ。
自分で作った語呂合わせというのは、忘れない。
でも、他人が作った語呂合わせは、腑に落ちなければなかなか覚えられない。
世界史の年なんか、語呂合わせしかないが、語呂合わせの本を読んでも、しっくり来なければすぐに忘れる。
一方、他人から見たら、どこが語呂合わせやねん、というようなモノでも、自分で作った語呂合わせは忘れない。
そういう風に、個人差がある。
脳の使い方は、男女でも違うし、個体差も大きい
人間の脳というのは、変な話、人によって使い方が異なることが多い。
最近、脳のどこの部分を使っているか、CGで表示できるようになった結果、いろんな事が分かってきた。
たとえば全く同じ数学の問題を解く時でも、男性と女性では、使っている脳の部分がかなり違う。
男性の多くは ●●番地と▼▼番地を使って解いているが、女性の多くは、■■番地と◆◆番地を使って解いている。
同じ問題なのに、全然違う場所を使って解いている。
これってかなり不思議なことだが、調べてみるとそうなっているそうだ。
また学習障害がある人と普通の人でも、使っている脳の部分が違うらしい。
なぜこんな事が起こるかというと、問題を解く能力というのは、元々人間には備わっていないからだ。
そもそも人間の脳が他の動物の脳と違うのは、「言葉を使う」と言うことだけなのだそうだ。
人間である限り、言葉を使って話したり聞いたりすることができる。
話したり他人の言葉を理解できることが、人間の条件なワケだ。
ところが、それ以上のことは、できる人とできない人に分かれる。
たとえば「文字の読み書き」「問題を解く」「論理立てて考える」
などということは、得意な人とそうでない人に別れる。
なぜかというと、脳には元々そういう機能が備わっていないから。
人間の脳には元々、計算問題を解いたり、文字を読み書きするための機能なんかないのである。
トレーニングによって脳のあちこちの機能を組み合わせ、無理からそういう作業をしているだけだ。
国民の殆どに文字を読み書きする必要が出てきたのは、ついここ百年くらいだったので、そういうことは実は長らく分からなかった。
ヨーロッパの貴族や音楽・芸術家の系統には、識字障害を持つ人が多かったりするそうだが、文字の読み書き一つ取ってみても、万人ができるようなものでもなかったのである。
それを幼い頃からの訓練によって、何とかカントカできるようにしているだけなのだ。