数学は、必要性を感じにくい科目
数学が苦手なんですが…という質問は、もう何十回も受けました。
でもしかし、どうすれば数学が得意になるかという処方箋は、私には書けません。
お薦めできる参考書や問題集はありますが、それで数学に対する苦手意識を払拭できるとは、お薦めしている私自身、到底思っていないのです。
というのも、数学というのは「虚学」なのです。
虚学とは、実学ではない学問のことです。
実学をgooの国語辞典で検索すると、
じつがく【実学】
理論より実用性・技術を重んずる学問。実際生活の役に立つ学問。農学・工学・商学・医学など。
三省堂「大辞林 第二版」
と出ていますから、虚学とは「実際生活にすぐには役に立たない学問」ということになります。
役に立たない学問など、勉強する必要などありません。
必要性を感じないからこそ、数学が苦手な人は数学を勉強しません。
塾の生徒にも、数学の成績が「1」の生徒がいます。
でも数学以外は、全部「3」なのです。
「何の役に立つのか、わからない」「何をやっているのか、わからない」と、その生徒は言います。
中学の前半くらいまではまだ、何かの役に立ちそうな感じのする数学ですが、平方根とか二次関数とか相似とか、いったい何の役に立つのでしょう。
もしかしたら連立方程式だって、大して役に立たないかも知れません。
国語だって理科だって社会だって、実物があります。
だから理解するのは、さほど難しくない。
「基礎からわかる勉強の技術」という本にも、学習の障害として「質量(マス)がないこと」が挙がっています。
実物がイメージできるモノなら、人間は理解できるのです。
しかし具体的に、何の役に立つのかイメージできない、それが数学です。
数学というのは、抽象性が高い学問で、しかも「実学(じつがく)」ではない。
ここに数学学習の根本的な難しさがあるのです。
鉄道ファンの熱心さ
そんな数学を、普通の人間である学生がなぜ、勉強していけるのか?
もちろん世の中には、「何でそんなことに興味を持つんや?!」というような、不思議な趣味の人がたくさんいます。
たとえば鉄道ファンなど、ボクには全く理解できません。鉄道についてなぜ、そんなに知りたいのか? 不思議です。
でも、神保町の書泉グランデなどに行くと、いつも鉄道ファンが静かに、しかしものすごい熱心さで鉄道雑誌や鉄道ビデオを漁っています。
鉄道コーナーでは、天井までびっしりビデオが並んでいて、棚には日本全国の鉄道の地図や時刻表が所狭しと並んでいます。
東京で、関西の私鉄である近鉄の時刻表を、食い入るように読んでいる鉄道ファン。何がおもしろいのでしょう。私には、全くわかりません。でも一心不乱に時刻表を見つめています。
彼らの頭の中では、ピカピカ光った列車が、街の間や山の間や鉄橋の上を走っているのかもしれませんが、興味のないボクから見ると「確かにちょっと楽しそうだけれど、だからなに?」と言うことになります。
数学が得意な人には、そういう鉄道ファンのような、けた外れの熱心さを持つ人が結構います。
実際、大学で数学科に通っていた麻雀仲間のシマタニ君の下宿に行って、スチールラックいっぱいの数学書を見たときには、ボクも驚きました。
「まだ半分くらいしか読んでないんだけどね…」
と彼は照れながら言っていましたが、そのコレクションがものすごく自慢のようでした。
彼がなぜ、そんなに数学に夢中なのかは、ボクには全く理解できません。
でも、数学が得意な人には多かれ少なかれ、そういう鉄道ファンの熱心さに通じるようなところがあります。
逆に数学が苦手な人には、そういう熱心さがまるでありません。
どうすれば数学が得意になれるかという処方箋を、なぜ私が書けないかと言うと、つまりこういう熱心さを数学が苦手な人にもたせることなど、まず不可能だからです。