勉強ができると言うこと、できないと言うこと
世の中には、勉強ができる人と、できない人、がいます。
この文章を読んでいる受験生のあなたは、どっちの人ですか?
Aさん:「まあ、どちらかといえば、できる方かな? 学校でも上の方だし」
Bさん:「うーんと、できない方になると思う。だって東大とか京大は、受けれそうにないし」
AさんとBさんのように、勉強ができる・できないを判断する基準が違えば、もちろん答えは違うでしょう。
でも、もしこのAさんとBさんが同一人物だったとしたら…
- 学校での席次で考えれば、半分より上だから、できる方。
- 東大・京大に挑戦できるレベルができる基準だと考えれば、できない方。
つまり、勉強できる人でもあり、できない人でもあるという、よくわからない状態なワケですね。
この文章を読んでいる、多くの受験生が、そういう状態にいるんじゃないかと思います。
じゃあ、ここで少し考えてみてください。
勉強ができる・できないというのは、一体どういうことなんでしょう?
手がかりは、自分の下にあります。
つまり
自分より、はるかに勉強ができない人を見れば、<できない>ということが、どういうことなのかが、わかるのです。
変な話、5歳くらい下の子供を見ても構いません。
自分よりできない人は、なぜ勉強できないんでしょう?
クラブや遊びに熱中していて、勉強時間が少ないから?
→ 自分は、その人より長い時間勉強しているから、成績がいい。
その人は、基本的な漢字や英単語・熟語を覚えてないから?
→ 自分は、その人より基本的な英単語や熟語を覚えているから 成績がいい。
その人は、適当に考えた答えをパッと書いて、妥当性を考えていないから?
→ 自分は、少なくとも、自分の書いた答えを吟味しているから…
- その人は、ナンの工夫もなく、とにかくガリガリ計算しているので、間違えが多い?
- その人は、とにかく計算や答えを書くのが遅いから?
- その人は、頭の中で考えていて、紙の上に書き出さないから、突破口が見いだせない?
- その人は、とにかく練習量が足らないから、問題を解くときに、解法が思いつかない?
- その人は、自分流の考えに固執して、先生や他人の解き方を参考にしようとしない?
- その人は、できるようになるまでやらない?
答えがだんだん見えてきましたね。
自分より劣っている(ように見える)人間の、できない理由を考えていけば、自分の努力する方向も見えてくるんです。
つまり今度は自分の行動を省みて、
- もっと勉強時間を増やせるんじゃなかろうか?
- もっと基本の勉強に力を入れれば良いんじゃなかろうか?
- もっと自分の書いた答えを確かめる技術を工夫できないか?
- もっと計算などの工夫ができないか?
- もっとスピードを上げることはできないか?
- もっと効率よく紙の上に書き出して考えるようにできないか?
- もっと他人の解き方を参考にすることはできないか?
と、考えていけばいいわけです。
本当は、自分より上の人と自分を比べて、その差がわかればいいんでしょうが、実はこれは難しい。
というのも、できない人から見て、できる人がなぜできるのかは、わかりにくいからです。
貧乏人から見て、裕福な暮らしをしている人がなぜ裕福なのかはわかりません。
というのも、自分をベースに考えたとき、自分に持っていないモノは理解しがたいからです。
でも逆に、自分から見て、できない人が、なぜできないかを理解することは、比較的簡単です。
なぜならそのとき、自分は<できる人>の側ですから、答えを自分は持っているわけです。
それなら自分をベースに考えても、妥当でしょう。
こう言うのが実は、できるようになるコツだったりするのです。
専門用語でこれを、「他山の石(たざんのいし)」と言います(^o^)
他の山にゴロゴロ転がっている、つまらない石でも、自分の宝石を磨く役に立つことがある…
と言うことですね。