背水の陣なんか、敷くんじゃない!
今週号(2006/10)の「ドラゴン桜」(週刊モーニング)、見ましたか?
東大を目指す2人が、センター模試で700点を突破! その秘訣を尋ねられて、
「今頃には成績が急上昇すると、教師がみんなで言い続けたから!」
と答える話でした。
周りが言い続けただけで、700点を突破できるなら、そんな簡単な話はないよ!!!!! という、話ですよね。
この話を読んで、私はふと「背水の陣」の話を思い出しました。
淮陰侯伝
背水の陣(はいすいのじん)って、もちろんみなさん、ご存じですよね。
辞書を引くと「失敗の許されない状況で全力をあげて事にあたること」等と書かれています。
これは中国の史書『淮陰侯伝』にのっている故事が、由来だそうです。
『淮陰侯伝』??
なんて読むんでしょう?
(わいいんこう・でん) だそうです。
私は読めませんでした(^o^)。理系なんて、そんなもんです。せっかくだから、覚えておきましょう。
ちなみに淮陰侯(わいいんこう)とは、漢の武将・韓信(かんしん)のことです。
なんと、2000年も前の人ですね。200年で七代世代が替わると言いますから、70代前の人です。
背水の陣とは
韓信は、秦の始皇帝の死後、混乱した時代に生きた武将です。
項羽と劉邦の時代で、最初、項羽に仕え、その後、劉邦側について、漢の国の建国に活躍しました。
「韓信の股くぐり」
「国士無双」
「背水の陣」
「敗軍の将、兵を語らず」
「千慮の一失」
などの故事が、この史書に載っています。
それだけ、いろんな話題を振りまいているんですね(^o^)
ところで、背水の陣って、どういうものか、知っていますか?
あるサイトによると、
漢の韓信は、あえて川を背に陣を敷き、兵士達が退けば溺れるほかない捨て身の態勢にした。
趙の軍は、兵法の常識を破り、川を背にして陣をとった漢の軍を見て大笑いしたが、韓信の目論見どおり漢軍の兵は決死の覚悟で戦い、見事勝利をおさめた。
なんて書いてあります。
つまり、退路を断って、必死に努力するのが「背水の陣」だと、みんな思っているわけですね。
ところが実は、背水の陣というのは、そんな単純な作戦ではないのですね。
背水の陣というのは、退路を断って必死で戦うという戦法などではありません。
敵を城壁の外におびき出してたたく、そういう戦法です。
退路を断って必死で戦うだけで勝てるなんて、世の中そんなに甘くないんです。
じゃあいったい、どんな戦法だったのか?
それを説明する前に、当時の戦争というのがどういうモノだったか、簡単に説明しておきましょう。
城壁に囲まれているのが昔の「都市」
つい百年ほど前まで、航空機が戦争で使われるようになるまで、戦争というのは、城壁の内と外で行われるモノでした。
攻める軍隊は城壁の外から攻め、守る軍隊は城壁を内側から守っていたわけです。
日本には、城壁都市というモノはありませんが、中国でもヨーロッパでも、都市と言えば元来、城壁に囲まれているモノなんです。
高い城壁を張り巡らせ、敵や異民族の侵入を防ぐ。
万里の長城みたいなもので、都市と言うものは囲まれていたんです。
東大門とか南大門なんていう地名や門が、中国や韓国にはありますが、あれも、城壁都市の東や南に作られた門だったわけです。
城壁の中に住み、城壁の中で家畜などを飼ってくらすというのが、都市というモノなんです。