資産効果の存在

資産効果の存在

資産効果の存在

資産効果とコースの定理
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 ここまでの議論は「資産効果が無い状況」という前提であった。
 つまり様々な取引に加わる人間は十分にお金を持っていて、どん
な便益や損害もお金で換算でき、補償したり弁償したりできるもの
として考えてきた。

 

「資産効果がない」「資産効果の不存在」の定義をもう少し詳しく
書くと、

 

1)当事者のそれぞれが、受け取る便益と負担する費用やリスクを
何らかの金額に換算して評価することができ、

 

2)この評価額がそれぞれの持つ資産額に依存せず

 

3)取引による便益を分割するための費用もどこまでも即時に負担
できる。

 

ということになる。

 

 取引によって起こる便益やリスクや補償が「客観的に」金額に置
き換えることができ、それを支払う準備が双方にちゃんと整ってい
る、、、、そんな状況である。

 

 資産効果が存在しないとき、有名な「コースの定理」が成立する。

 

 コースの定理を一言で言うと、

 

「社会で何か問題が生じたとき、当事者のいずれかを支払責任者と
決めれば解決できる。ただし責任者はどちらに決めても良い」

 

ということになる。

 

 たとえば学習塾と工場が隣接していた場合、工場の騒音と振動は
塾にとって邪魔でしかない。

 

 一方工場にしてみれば、そんなこと知ったことではない。

 

 だがこの問題を解決するには、どちらかを解決責任者として決め
て解決責任を負わせ、金銭で解決させればよい。

 

 たとえば責任者を工場の経営者に決めると、工場の経営者は塾に
対して立ち退き料なり塾の騒音防止工事の費用なりを負担すればよ
い。

 

 逆に責任者を塾に決めれば、塾は工場の立ち退き料か(工場の)
騒音防止工事費用を負担すればよい。

 

 コースの定理によればこの場合結局、学習塾と工場のどちらか利
潤の大きい方がその土地に残ることになり、他は移転することにな
る。

 

 その場所に置いてより高い生産性を持つ方がその土地に残り、他
へ移転しても構わない方が土地から去る。

 

「資産効果がない」という前提下では、取引上発生する便益やリス
クや損害は客観的にお金に換算でき、しかも取引に加わる双方が充
分にお金を支払う能力をもっていることになるので、こういう定理
が成立するわけである。

 

 だがしかしこんな状況は、現実にはなかなか起こらない。

 

 相手を移転させるコストも自分が移転するコストも大きいし、そ
れによって失う便益もかなり大きいからである。

 

 貧乏人は我慢して肩寄せ合って生きるしかない場合も多い。

 

 

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■資産効果が存在するという現実
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 「コースの定理」は「資産効果が存在しない」という前提で成立
するものであるから、そのまま現実社会で適用できるモノではない。

 

 だがしかしこれは物理学で言う「質点」つまり「質量はあるが大
きさはない点」の概念のように、モデルを簡略化して把握すること
ができる利点がある。

 

 物理学でこういう概念をまず採用するのは、大きさがないという
条件下では大きさからくる様々な要素を捨象(細かいことはバサッ
と考えないことにしてしまうこと)できるからである。

 

 最初に大きさのない質点一つについて考え、そこから大きさのあ
る物体の運動、あるいは重心がたくさんあるような多重心の物体の
運動へと思案を広げていく。直線運動から平面運動、そして空間運
動へと広げていく。

 

 それと同様にこれまでは、まず「資産効果がない」という前提で
モノを考え、そこから「コースの定理」だとか「総価値最大化原理」
だとかいったふうな「骨格にあたる考え」を広げてきた。

 

 では資産効果が存在するという前提では、何が起こるか?

 

 資産効果というのは、人々が十分なお金を持っていないというこ
とであるから、途上国の問題に関しては「資産効果がない」という
仮定は置いても役にはたたない。

 

 たとえば発展途上国のように、収入によって健康状態が明らかに
異なるということがある。

 

 つまり先進国では旨い不味いを別にすると、低賃金でも充分栄養
のある食事をとることができるが、途上国ではお金がなければロク
なものが食えないような事が起こる。

 

 このような場合、低賃金しか支払わないと従業員の健康状態が悪
くなり、仕事の効率も落ちてしまうといったことが頻繁に起こる。

 

 日本でも「食事付き」「賄い付き」といった仕事は結構あるが、
働いているヒトはたいてい資産を持たない人間か修行中の人間であ
る。

 

 こんな場合に「資産効果がない」という仮定の下で「総価値最大
化原理」を展開しても仕方がない。

 

 また前号で書いた「エージェントがリスク中立的である場合」で
も、資産効果が絡んでいる。

 

 あの場合もプリンシパル=エージェント関係においてエージェン
トがリスクを全て負い、利益も殆ど全てエージェントが取るわけだ
から、資産があればエージェントがプリンシパルからその業務全体
を買収すれば何も問題はないことになるが、実際にはエージェント
にはそんな金はないからやはり問題は解決しない。

 

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■資産の所有と効率性
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 そして資産効果があるという状況で大問題なのが、
「生産財を誰が所有すべきか」
という問題である。

 

 たとえば長距離トラックの運転手が自分のトラックを用いて仕事
をする場合、トラックの管理は十分に行き届き、その便益は最大化
されよう。

 

 だがそれが会社所有のモノを使っていて、報酬が歩合制ならば、
運転手はトラックを酷使して歩合を稼ごうとするだろう。

 

 そうなると酷使されたトラックの寿命は短くなり、メンテナンス
にも余分な費用がかかるから、全体の総価値は大きく減ってしまう。

 

 つまり運転手にトラックを購入することを奨励し、そのために十
分な報酬を支払わねば「全体として非効率」になってしまうのだ。

 

 これも「資産効果があるために、総価値最大化原理が応用できな
い例」のひとつである。

 

 総価値最大化原理は、あるグループ全体の総価値(総効用)が最
大化されるとき、グループ内の配分には関係なく効率性が達成され
るという原理である。

 

 この原理によると運送会社とドライバーでどのように利潤を分け
合っても結果は同じということになるはずだが、資産効果が存在す
るのでドライバーにたくさん給料を分配して自分の車を持たせた方
が効率が上がり、逆だと効率が下がるといった現象が起こるのだ。

 

 最後に資産効果のあるなしは、貧富の差を広げる働きを持ってい
る。

 

 というのもトラックを持つ運転手はそうでない運転手より効率的
に稼ぐだろう。

 

 途上国でプロジェクトを行い従業員を採用する場合でも、効率性
の面から健康で明るい人間を採用し、不健康な貧乏人はあんまり採
用されないだろう。

 

 健康も笑顔も広い意味で資産である(「貧乏人の正体」参照)か
ら、そういうふうにして収入に大きな差ができてしまうからである。

 

NEXT:シャピロ=スティグリッツのモデル(1)

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