市場の失敗(1)

市場の失敗(1)寡占と収穫逓増

市場の失敗(1)

 かつての社会主義・共産主義国の政府がとったような中央集権的な計画経済より、市場機能を重視した自由主義経済の方が効率的であるのは事実のようである。

 

 というのも社会主義・共産主義の国々は軒並み貧乏になったが、一部に自由市場エリアを儲けただけで中国の「万元戸」のような裕福な家がぞくぞく誕生したからである(つまり効率的であれば国民の何割かの人間が確かに豊かになれる素地がちゃんとあったのだ)。

 

 だがしかし「かの国々」では効率性より平等を優先し、それを政治的に実現しようとしたがために、返って無駄を大量生産し経済全体の効用を押し下げてしまったらしい。

 

 そういうわけで社会主義・共産主義的計画(統制)経済よりも、価格による調整システムを高く評価する資本主義的市場経済の方が効率性や効用(満足)において優れていることはハッキリした。

 

 だがそれにもかかわらず、市場主義が経済において万能であると考えている経済学者は意外に少ない。

 

 すなわち市場均衡はある限られた条件下で起こるモノでしかなく、だからこそそれを補完するためのシステムとして「組織」が形成され運営されているのだ、、というのが少なくともこの組織の経済学における考え方なのである。

 

 では市場均衡が達成されない場合とは、どのような場合であろうか?「市場の失敗」についてである。

 

市場の失敗

 

 市場均衡価格によって財やサービスの需要と供給が調整されないケース(すなわち「市場の失敗」)は、以下の四つのケースである。

 

  • 1)市場支配力を行使する勢力があり、競争によって生じる水準とは異なる水準に価格を設定してしまう場合。
  • 2)財やサービスに関して規模に関する収穫逓増(或いは一定)がある場合。
  • 3)外部性(市場の欠落)がある場合。
  • 4)サーチング・コストやマッチング・コストが無視できない場合。

 

 まず1)は前回まで述べてきた社会主義・共産主義国の価格統制経済の話と同様である。

 

 市場支配力を行使する勢力というと大抵の人間は「独占企業」を思い浮かべるだろうが、政府や地方自治体などによる価格統制(公定価格)なども含むと考えれば、共産主義の問題も同様の問題であると捉えられるだろう。

 

 市場支配力を行使する勢力が存在すると、価格システムは歪む。

 

 なぜなら市場支配力を有する勢力は、その支配力を行使して自らの勢力の利益になるように(少なくとも不利益にならないように)価格を操作しようと行動するので、その結果財やサービスの価格は市場の需給を調整する水準とはかけ離れることになり市場の調整機能を損なってしまうからである。

 

「市場の失敗」とは「市場で決まった価格が需給を調整しない」「市場で決まった価格が効率的な財やサービスの配分を行わない」という意味であり、財やサービスの価格を恣意的・政治的に自らに有利にコントロールしようという勢力があると、当然ながら「市場の失敗」が起こる。


市場が失敗するケース、規模による収穫逓増がある場合

次の2)の「規模による収穫逓増がある場合」というのは、少々わかりにくい話かも知れない。

 

「規模による収穫逓増」の定義はどうも、分野によって少しバリエーションがあるようなので、ボクもちゃんと理解しているのかどうかいささか不安である。

 

 単純に「規模による収穫逓増」と言えば、「生産規模を大きくすればするほど産出物(製品やサービス)一個当たりの生産コスト(アベレージ・コスト:AC)が小さくなると言うこと」なのであるが、「規模を大きくすればするほど儲かること」というニュアンスも少しありそうだ。

 

 まあでもしかしとりあえず、今ある生産要素(生産設備・労働力)を用いて稼働率を上げていった場合に、一個当たりの生産費が反比例するように小さくなっていく(逓減する)ような場合であると、考えよう。

 

 工場の従業員は普通、月給や週給や日給・時給などといった「時間給(時間当たりの賃金率)」で雇われている。

 

 だから、工場など製造業ではフル生産している方が一個当たりの製品に投入されている労働量は小さくなる、、、そんな感じである。

 

 たとえばある商品を一日に千個を造ることのできる生産設備(資本)と労働力があったとしよう。

 

 だがこれだけの設備と労働力を持っていたとしても、日に100個しかその商品を生産しなければ、一個当たりの生産要素の投入量は当然高くなる。

 

{生産費C}={原材料費M}+{付加価値A(資本・労働)}とすれば、千個作れば一個当たりの付加価値(資本・労働)は千分の一になるが、百個では百分の一になり十倍も費用がかかってしまうわけである。

 

 つまりこの商品の一個当たりの生産費は、工場の稼働率をt(0<t≦1)とすれば、 p=m+A/1000・t (p:一個の価格、m:一個の原材料費)と書けるわけだ。

 

 しかし、この時この価格曲線は「右下がり」でしかもp=mを漸近線(つまりそれより下がらない)とすることになる。

 

 

 で、ここで、この商品の需要曲線について考えよう。

 

需要曲線は通常右下がりの曲線である。

 

「え?右下がり????」 つまり「規模による収穫逓減」があると、供給側の供給曲線(AC:平均費用曲線)も、需要曲線も同じ右下がりになってしまうわけである。

 

 となると、もし需要曲線がこの費用曲線より下を通るとなれば、作れば作るほど生産者は損をすることになる。

 

 だから、そうなると需要があるにもかかわらず生産が行われなくなるのである。

 

普通の供給曲線は「右上がり」であるから「右下がり」の需要曲線と交わることができるわけだ。

 

 しかし、このように「規模による収穫逓増」があると供給曲線が「右下がり」になるので交点がなくなる可能性が充分あるわけである。

 

 もちろん逆のケースもある。

 

すなわち需要曲線がこの価格曲線より上にある場合である。

 

 この場合もやはり価格は適正な生産量についての情報を与えない。

 

結局これは「ON−OFF」の二者択一の状況であり、この場合には「作るか作らないか」という二通りの選択しかないわけである。

 

 このような場合、価格が適正な生産規模を決定しない(効率的な資源配分を行わない)ので「市場の失敗」が起こるのである。

 

 (つづく)

 

今日のまとめ

 

 作れば作るほど売れる状況が適正な生産規模を見失わせるという例はバンダイの「たまごっち」の話がちょうどいいかも。

 

 バンダイは作れば作るほど儲かるものだからドンドン「たまごっち」を生産したけれど、ある日突然需要が尽きてしまい、あれだけの大ブームを引き起こしたというのに結局大赤字になってしまった。

 

 これは最初需要曲線が「たまごっち」の生産費曲線の上側にあったのに、ブームが去ってDカーブが生産費曲線の下側に入ってしまったということなんでしょう(こんな理解でいいのかな? やっぱりちょっと怪しい理解かな?)。

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