取引もできないし誰のモノかも不確かな財の所有権

取引もできないし誰のモノかも不確かな財の所有権

取引もできないし誰のモノかも不確かな財の所有権

 通常の財(商品)の「所有権」は売買可能である。

 

 売買可能な所有権であれば移転(持ち主の変更)は簡単だから、コースの定理によってその財はそれを最も高く評価している者の手に渡ることになる。

 

 だがしかし、全ての財の所有権が取引可能であるわけではない。

 

 所有権に対して様々な制限が課せられていることも多いし、所有権がハッキリしない場合も多い。

 

 所有権が取引不可能でまた不確かな時、資産はそれを最も必要とし、高く評価している者の手に渡るのが難しくなる。

 

 これでは効率的な財やサービスの配分は為されない。

 

 そしてまたその財の所有権が不明確であれば、それを維持したり増進したりして受け取る公正な見返りが期待できない。

 

 そうすると、資産とその収益が共に失われてしまう危険が常につきまとうから、そう言う財への投資インセンティブは弱いものとなり、財や投資の供給不足が起こってしまう。

 

 たとえば明治時代頃までの日本の田畑や、産業革命の頃までの西ヨーロッパの農地は所有権があいまいで、しかも二三年ごとに村の中で「割換え」という席替え(場所替え)のようなことが当たり前のように行われていた。

 

 そうなるとそこにはさほどの投資が行われない。

 

 一生懸命田畑を耕し、排水をし、施肥をして地力を整えたとしても、来年は村の別の者がその土地を使って収穫を上げることになるのだから、何かそこに喜びや面白さなどといった価値を見いださないならば、「ホドホドに」しかそういう投資は行われない。

 

 その結果、農業の生産性はなかなか上がらなかったが、そういうわけで所有権の不確かな財には十分な投資が行われにくく、そういう財を供給する者も少なくなる。


カリフォルニアは砂漠?

 カリフォルニア州といえば日本ではカリフォルニア米でお馴染みのように、世界でも有数の農業地帯である。

 

 日本の米農家は一戸あたり3〜5ヘクタールの水田しか耕していないが、カリフォルニアの米農家は一戸あたり100ヘクタールから150ヘクタールもの広さの水田を使って米を作っている。

 

 米作りに必要なのは排水が完璧にできるフラットな水田と、小麦栽培の十倍もの水がいるのだ。

 

 しかし、実はカリフォルニア州の殆どは砂漠なのである。

 

 カリフォルニアには短い冬の間に雪が降るだけで、カリフォルニア州の植生(つまり天然に生えている植物の種類:ベジテーション)は砂漠に適した植生になっている。

 

 ではなぜカリフォルニア州が世界でも有数の農業地帯であるのかと言うと、それは北東部の山岳地帯に降った大量の雪の雪解け水をダムやパイプラインなどを利用して上手く活用しているからである。

 

 そのために砂漠のはずのカリフォルニア州で、農業や産業に利水する事ができ、人々は飲み水を十分に得ることができるのだ。

 

 実際カリフォルニア州では州内の75%の水が北部で採水され、人口の75%が住む南部で利用されているという。

 

 だが上流のダムに水を貯めるためにサンフランシスコ湾に流れ込むサクラメント川の流水量は減少し、その結果川の自浄作用は低下して環境汚染が進んでいる。

 

 また流量が減少したために内陸部まで海水が入り込むようになり、生態系が変えられたり、鯨がサンフランシスコ湾の奥深くまで入り込みたびたび迷子になっているという。

 

カリフォルニア州での利水(水の使い道)の85%は農業用であり、生活用水と他の産業用の水は残りの15%で賄われているに過ぎない。

 

 この辺の事情は日本でも同じで、水資源の80%前後は農業で消費されるのだ。

 

 しかし、日本やカリフォルニア州のGDPの3%しか占めない農業が、85%の水資源を優先的に使用している。

 

 そしてそのせいで都市への水の供給や、農業よりもはるかに付加価値の高い工業などの産業への水資源の配分がひどく制限され、全体として非常に非効率な配分となっている。

 

 果たしてこの水の所有権は、一体どうなっているのだろうか?

 

今回の・・・・

 

 21世紀に一番不足する資源は何か? といえば、工学部の先生は「石油」と言い、農学部の先生は「水」と言う。

 

 日本の田舎議員は「世界中で米を作ったら飢餓問題なんてすぐ解決する」などと言って米作を養護するが、しかし米は小麦の十倍もの水資源を消費するのである。

 

 ところが世界の殆どの地域には、そんな水などない。

 

 そして水があっても良いはずの場所にも年々水がなくなりつつある。

 

 たとえば黄河なんて水を満々とたたえて、中国四千年の流れのごとく滔々と水が流れているようなイメージがあるが、源流や上流の流域では木々の大量伐採が原因で殆ど水が流れていなかったりする。

 

 日本からボランティアやNPO が中国まで行って、黄河の上流にせっせと木を植えているが、木なんて誰のモノかハッキリしないから少し大きくなるとすぐまた誰かに切られ、その結果雨が降れば水がすぐに下流に流れ氾濫し、雨が降らねばすぐ干上がるという繰り返しである。

 

 戦前の朝鮮半島でもそういうことがずっとあって、だから大日本帝国の総督府は山に材木にしにくいアカシアを植えさせたという話があるが、半島でも黄河上流でもタイの東北部でも、努力しないとそうやって木はどこでも伐採され下流の水資源を枯らせるのだ。

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