厚生経済学の基本定理の証明

厚生経済学の基本定理の証明

厚生経済学の基本定理の証明

 Pを全ての財やサービスの価格リスト(ベクトル) Bを全ての財やサービスに対する個人の購入リスト(ベクトル) Sを全ての財やサービスの個人の販売リスト(ベクトル) Iを全ての財やサービスの企業の投入リスト(ベクトル) Oを全ての財やサービスの企業の産出リスト(ベクトル)とする。

 

 このときもし{P,B,S,I,O}が競争均衡における価格リストと計画(個人の販売・購入計画&企業の投入・生産計画)であれば、その結果生じた配分は効率的である、、、というのが、「厚生経済学の基本定理」である。

 

 つまり市場により均衡価格が決まる。

 

↓それを元に各人・各企業が自らの行動を自らの価値観によって最適化する。

 

↓その結果、効率的な配分が達成される。

 

というストーリーである。

 

背理法による証明

 

 競争均衡においてもし{B,S,I,O}が最も効率的な配分でないと仮定すると、それより効率的な配分{B’S’I’O’}が存在することになる。

 

 ここでもしある消費者が消費計画{BSIO}より代替的なこの{B’S’I’O’}という代替配分をより満足なものとして選択するなら、この消費者は{BSIO}より多くの出費をする羽目になる。

 

 というのも定義より{B,S,I,O}は実現可能な消費計画のうち、この消費者が最も望ましいと考える計画である。

 

だから、新しいリストでの消費計画は元のリストによる消費計画より余分に金がかかるのだ。

 

たとえば最初は月に20万円稼いで15万円を消費と娯楽にあて、残りを車のローンに充てる、、と言う暮らしで楽しく暮らしていた状態から、「疲れるから仕事を減らそう。

 

収入は二万円減るが」「でも暮らしの質は落としたくない。

 

車もいまの車に乗りたい」という状態に移行するとしたら、収入の減った二万円は貯金や資産を取り崩すことになる。

 

 或いは仕事を減らさないまでも暮らしの質を上げたり、もっといい車に乗りたいというのでこれらの出費を増やすという場合でもいい。

 

 この時、この消費者の当初の消費計画ではPB=PS+DFであったモノが、新しい計画では PB’>PS’+DF(新・購入総金額)>(新・販売総金額)+(受取り配当総金額)となったわけである。

 

 ここで仮定の通り{B’S’I’O’} がもし{BSIO}より効率的な配分であったとしたなら、{B’S’I’O’}によってこの消費者を除く全員の状態は前より悪化しない。

 

 つまり残りの消費者全員は少なくともPB’−PS’< DFとはならず、 PB’−PS’≧DF(新・購入総金額)−(新・販売総金額)≧(受け取り配当送金額)でなければ、{B’S’I’O’} が{BSIO}より効率的な配分であるとは言えないわけである。

 

(←この辺の理屈は「パレトー最適」の考え方) そうすると消費者全ての新しい計画の総計は、 ΣPB’>ΣPS’+ΣDF ・・・(a)となる。

 

つまり最初の消費者が支出を増やして PB’>PS’+DFとしたために「=」が落ち、消費者の総支出は総所得を上回ることになるわけである。


厚生経済学の基本定理の意味

 

 一方企業について考えると、企業は価格Pにおいて利潤を最大化するように投入計画や生産計画を立てているはずだから、別の計画では当初の計画より新しい計画での利潤が大きくなることはなくなる。

 

 つまり価格Pという所与の条件がある時にもっと儲かる実行可能な計画があれば、普通初めからそちらの計画を選んでいるはずだからである。

 

 よってある企業の計画においては、PO−PI≧PO’−PI’で、企業全体ではΣ(PO−PI)≧Σ(PO’−PI’) ・・・(b)となる。

 

 企業はその利潤を全部配当に回す(ボーナスや設備投資や留保金は投入物になる)ことになる。

 

 だから、消費者が受け取る総配当金額は、ΣDF=Σ(PO−PI)・・・(c)となり、さらに新しい生産計画は実現可能なものでなければならないから必要条件はΣB’+ΣI’≦ΣS’+ΣO’・・・(d)となる。

 

 この式の左辺は「総需要」であり、右辺は「総供給」であるので、市場が均衡している場合はΣB’+ΣI’=ΣS’+ΣO’となる(需要と供給の一致の式)が、≦となっているのは「儲け」が見込める場合と言うことである。

 

 当たり前のことだ。

 

 しかし、儲けが見込めなければ(少なくとも収支トントンでなければ)企業は生産をしないはずだから、dの式のようになる。

 

 さてそうすると、まず(b)から、Σ(PO’−PI’) ≦ Σ(PO−PI) 次に(c)から =ΣDF さらに(a)から、 <ΣPB’−ΣPS’ =P(ΣB’−ΣS’) (d)より ≦P(ΣO’−ΣI’) =Σ(PO’−PI’)・・・(最初の式) 結局最初のΣ(PO’−PI’)に戻る。

 

 つまり途中で「=」が落ちた<があるにも関わらずΣ(PO’−PI’)<Σ(PO’−PI’)となるからこれは明らかな矛盾である。

 

 A>Bであり、A=Bであるということは同時に成り立たない。

 

 よって背理法により、仮定が否定される。

 

 つまり{B’,S’,I’,O’}は{B,S,I,O}より効率的な配分ではない。

 

ということが示される。

 

(証明終わり)

 

厚生経済学の基本定理の意味

 この基本定理はアダムスミスの「神の見えざる手」をモデル化したものである。

 

 誰も市場の支配力を持たない「競争均衡状態」では、価格は所与のものとして各企業や各個人に与えられる。

 

つまり誰も勝手に値段を吊り上げたりできない時、人々は自らの欲望のままにモノを買ったり売ったりしても、全体として効率的な配分になるということである。

 

 このとき各人・各企業の利潤の大きさは、配分の効率性には影響しない。

 

 だから「新古典派経済学派」の主張では、企業や組織がいくら儲けようと全体の効率的な配分は崩れないということになり、そしてもし効率的な配分が行われていないとすれば、それは市場が競争均衡状態になっていない、、、資本主義的自由競争が行われていないからだ、、、ということになる。

 

 そういうわけで彼らは、政府などの価格統制や大企業の価格操作な可能な限り排除することが、社会全体の福利にかなうと強く主張するわけである。

 

 また社会主義国におけるような中央統制による経済システムでは、社会全体の効率的な配分を行うために適した統制価格を設定する必要が出てくるが、そのために全ての人や企業の現在の所有財産・選好・効用関数・利潤などの情報を把握しなければならない。

 

 そうでなければ円滑なコーディネートもできないし、効率的な配分もできない。

 

が、それは実際上全く不可能である。

 

 そういうわけで、価格などの一部の情報しか得られなくとも全体のコーディネートがうまくいく市場経済の方が効率的である。

 

■注: この私有制経済モデルでは、以下の条件を仮定している。

 

 すなわち1)各企業は生産可能な生産計画によって生産する。

 

 (つまり生産不可能な生産には投入物を投入しないものとする)2)各消費者は、消費計画が定める財やサービスを提供できる。

 

逆に言えば労働力は存在する労働力以上提供できないし、存在 しない原材料は使えない。

 

だからS≦Eである。

 

3)この経済で取り引きされる各財の総量は、この経済の入手する 総量を上回らない。

 

つまり消費者が購入したり企業が投入したり する財やサービスの合計ΣB+ΣIは、消費者が売りに出したり 企業が生産したりする財やサービスの合計ΣS+ΣOより小さい。

 

 ∴ ΣB+ΣI≦ΣS+ΣO 

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