資本の黄金律水準(後編)

資本の黄金律水準(後編)

資本の黄金律水準(後編)

■資本の黄金律
----------
 閉じた経済(NX=0)では、貯蓄率sが一人当たり資本ストックの
定常状態 k* を決定する。
 この時一人当たりの産出量(生産高)は y=f(k*) となる。

 

 だが貯蓄率sは外生変数によって影響を受ける。すなわち貯蓄S
は総生産から税金と消費分を差し引いたモノであるし、政府購入G
の大きさによっても影響を受けるから、それらを調整することによ
って様々な k* のうちからある一つのk*を選ぶことが可能である。

 

 それでは政策決定者は、政治的な観点からどういう定常状態 k* 
を目指すべきなのだろうか? 

 

 それはもちろん国民一人当たりの消費水準の最も高くなる k*
であろう。というのも国民は普通、一人当たりの資本ストックや生
産高や投資などを意識せず、消費以外には殆ど興味がないからであ
る。ではこの時一人当たり消費水準 c* はどうなるだろう?

 

 y=c+i より c=y−i で、y=f(k*)。
 また定常状態ではΔk=i−δk=0だから、i=δk*。
 よって  c*=f(k*)−δk* である。

 

y、δk        δk*資本の一人当たり減価償却
 ↑        /
 |    _――――――― f(k*)一人当たり産出高 
 |   / /
 | /|c*gold
 | / | /  
 | / /   
 | /  /    
 |/ /     
 | /____________
0 k*1→ k*gold ←k*2     k*

 

 k*での一人当たり産出量と一人当たり減価償却をグラフにすると
上のようなグラフになるが、これより c*=f(k*)−δk* を最大
にする点が存在することがわかる。

 

 一人当たり資本ストックの定常状態値 k* のうち、消費水準が
最も高水準になる k* を「資本蓄積の黄金律水準」と呼びk*gold
と書く。

 

 さてここでMPKは、f(k*+1)−f(k*) で、一方資本を一単位増
やした場合の減価償却の増分は δ(k*+1)−δk*=δ より定常状
態での消費 c*=MPK−δ であるから、資本ストックの定常状
態が消費を最大となっている点では、

 

 MPK=δ

 

である。

 

sf(k*) = δk*

 

------------------------------------------------------------

 

        黄金律定常状態への移行

 

------------------------------------------------------------

 

 資本蓄積が定常状態であったとしても、「黄金律定常状態」であ
るとは限らない。

 

 経済がある定常状態に達しているが黄金律定常状態でない場合に、
貯蓄率sを変化させた場合、その影響はどうなるだろうか?

 

 それにはまず場合分けをしなければならない。すなわち

 

1)黄金律状態より資本が多い場合からの出発

 

2)黄金律状態より資本が少ない場合からの出発

 

である。

 

----------
■黄金律状態より資本が多い場合からの出発
----------

 

 黄金律状態より一人当たり資本ストックが大きい場合、政策決定
者は「資本ストックを減らすために、貯蓄率sの減少」させなけれ
ばならないことになる。

 

 この政策が成功し、貯蓄率sが黄金律水準を達成する水準、すな
わち s*gold になったとする。

 

s → s*gold (低下)

 

 y=c+iで、i=sy、だから、貯蓄率sの低下は、すぐに投
資iの低下・消費yの増大につながることになる。

 

 投資iが低下すると言うことは、一人当たり資本ストックkがk*
より外れると言うことである。というのも減価償却率δは変化しな
いわけであるから、定常状態のΔk=i−δk=0を満たさなくな
るわけである。

 

 ここからkは新しい定常状態である k*gold へと移行していく
わけであるが、この時一人当たり産出量yは減少していく。

 

 なぜなら元々一人当たり資本ストックが黄金律より高い水準にあ
るわけだから、それが下がるのは当たり前である。

 

 ここで注目すべき事は

 

「一人当たり産出量は減るが、消費は以前より高い水準でずっと経
過する」

 

と言うことである。

 

 だから一人当たり資本ストックが黄金律水準より高い場合には、
貯蓄(=投資)を減少させることが望ましい政策となる。

 

 

----------
■黄金律水準より少ない資本からの出発
----------

 

 しかし経済が黄金律水準より低い資本から出発する場合には、
「痛み」を伴うこととなる。

 

 というのもこの場合、貯蓄率sを上げねばならないが、それは
消費iを減らさねばならないからであるからである。

 

 貯蓄率sを政策的に s*gold に引き上げると、その分消費を減
らさねばならなくなる。

 

 このとき経済は定常状態を外れ新たな定常状態 k*gold へ向か
うこととなるが、その途中では「消費が抑えられる」。

 

 将来の消費水準を高めるために、今日明日の消費を抑えねばなら
ない、、、

 

 これは「現在世代」の犠牲のもとに「将来世代」の幸福を創ろう
ということであるから、政治的には極めて難しい判断になる。

 

 つまり「支払い者」と「便益受取者」が異なるのだ。

 

 貯蓄率sを s*gold に引き上げられるかどうかは、新しい定常
状態に移行が完了する所要時間の長さや、国民の現在と将来に対す
る認識に依存することだろう。

 

 

(つづく;次回はソローモデルの人口成長に関する拡張)

 

------------------------------------------------------------

 

         今日の・・・

 

------------------------------------------------------------

 

 うわ、、、自分でまとめておいて、何だかよく理解できなくなっ
てきた。
 次回と次々回は多分、何が何だかよくわからないかも知れない。
 ノート作らなきゃ、、、 

 

------------------------------------------------------------

 

         皆様からのおたより

 

------------------------------------------------------------
※下松さんからご意見の続きを頂きました。
----------

 

こんにちは。
ソローの成長モデルによる
日本と西ドイツの「奇跡」の解釈に関するコメント続編です。

 

貯蓄率の方の論点はちょっと保留にさせて下さい。
生産関数の方についてですが、

 

> また生産関数についても、戦後が戦前より悪くなるとは思えませ
>ん。というのも必要な技術というのは権力が強く禁止しない限り後
>退しないはずでしょうし。

 

生産関数という言い方が誤解を招いたのかもしれません。
私が言いたかったのは、
生産における「コーディネーション」が悪化するということです。
生産をするために必要な生産要素を
すべて効率的に利用できなくなるということです。
例えば、労務管理の経験を積んだ工場長が徴兵されて戦死し、
後を継いだ工場長は経験が少ないために以前ほと上手に労務管理を
行えなくなり、
その工場の労働者の働くインセンティブを失わせてしまったり、
労働者どうしの協力がうまくいかなくなってしまい、
同水準の資本ストックに対する生産量が減少してしまう。
つまり、生産関数y=f(k)が下方シフトしてしまう。
または、企業間での投入物・産出物の取引が、
戦争による流通システムの破壊(道路が爆撃で壊されるなど)で、
スムーズに行われなくなり、生産設備の回転率が悪くなり、
生産関数y=f(k)が下方シフトしてしまう。

そういった「コーディネーション」の悪化を防いだ、
または、悪化したのを回復させた日本と西ドイツは
やはり「奇跡」なのではないかと思うのです。

 

ソローモデルの話で
「コーディネーション」の話を持ち出すのは反則かもしれません。
しかし、経済発展を考える上で、
資本ストック水準や技術水準と並んで大切なのが、
こういった「コーディネーション」のあり方だと考えているので、
あえて指摘した次第です。

 

では失礼します。

 

----------
(^_^)
 うーん、、、そうですねー、、、
 おっしゃりたいことは何となく理解いたしました。
 確かに戦争に負けて人心が荒廃すれば、コーディネーションも多
分上手く行かなくなるものでしょうしねえ、、
 それを上手くまとめたという点では、奇跡かも知れません。

 

 ただコーディネーションが悪いことによる産出高の低下、つまり
「生産性低下」と、戦争や震災で資本や労働が欠落したり不足した
場合の産出高の低下は別物なんだという風に思います。

 

 ベテランが戦争でいなくなったり、必要な部品や資源が手に入ら
なくなるのはコーディネーションの具合が悪くなったと理解すべき
なのだろうか、それとも欠落と理解すべきなんだろうか。

 

 ボクはそれを欠落と理解しているんですが。

 

 だから日本は近世において常にある一定水準以上を維持する力を
を持っており、そしてその程度の実力しかない、と理解しています。

 

----------

 

 日本の生産性については、ポール・クルーグマンの本の「アジア
の奇跡は本物か?」というところに面白い話が載っていました。

 

 クルーグマンによると「アジアの奇跡」など幻で、それは「驚異
でも何でもない」ということです。

 

 というのもかつてソ連や日本の驚異が大々的に取り上げられてき
たけれど、生産性で見ればアメリカよりはるかに下だった。

 

 確かに日本の生産性の向上はめざましいモノがあるが、しかしそ
れでもアメリカにキャッチ・アップする速度は次第に鈍化してきて
いる。

 

 そうして日本でさえ生産性でアメリカに追いつくのは、現在のキ
ャッチ・アップ・ペースを保ったとしても二十一世紀の中頃で、そ
れと比べてもアジアの新興工業国なんかぜんぜんダメだとクルーグ
マンは言うわけです。

 

 生産性というのは、存在する生産要素を最大限に利用して生産で
きた場合を100%として、現実の経済が何%それを達成しているかと
いうことなわけですが、それがアメリカと日本ではまだまだかなり
差があり、アジアに至ってはさらにそれが悪く「アジアの奇跡」な
んていってジャーナリズムはもてはやしているが、それは単に将来
に消費する資源や労働力を前倒ししたり酷使したりして一時的に生
産高をむりやり増やしているだけなのだ、、と。

 

----------
 日本人の生産性は、近隣諸国と比べれば確かに高いかも知れない
けれど、それは半ば「自然発生的」なもので国民に浸透しているも
のではない。

 

 ボクなどここ四年半のスーパーのバイト経験で、普通の日本人が
整理一つ満足にできず、目先のことだけをこなすのに汲々として生
きている様子を散々見てきているので、日本の生産性が高いと言わ
れてもピンときません。(もちろん他のバイトもたくさんやってき
ましたが)

 

 これが教育などで解決されなければ、本当の「奇跡」など起こら
ないものだと思います。 

 

NEXT:人口成長の影響

スポンサードリンク

このエントリーをはてなブックマークに追加