歴史的なドイツのハイパー・インフレーション

歴史的なドイツのハイパー・インフレーション

歴史的なドイツのハイパー・インフレーション

 

{名目利子率i}={実質利子率r}+{予想インフレ率π}
だから、インフレが収束するといっぺんに名目利子率iが下がり、
それによって実質貨幣需要がいっぺんに増える。

 

 この「いっぺんに」というのが、今回の問題です。

 

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■歴史的なドイツのハイパー・インフレーション
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 実質貨幣需要(M/P:どれだけの財やサービスを購入できるだけ
の貨幣が経済に必要とされているかという目安)は、貨幣の需要関
数L(i、Y)で示される。

 

 iは名目利子率、Yは国内総生産GDPで、関数LはYが増えれ
ば増え、iが増えれば減る。

 

 というのも国内で生産される財やサービスが増えれば、それを取
り引きするための実質貨幣はたくさん必要になってくるし、逆に名
目利子率が高くなると、{名目利子率=貨幣の保有コスト}である
から貨幣に対する需要が減ることになるからである。

 

 さてそういう話を踏まえて「ハイパーインフレの止め方」につい
て少し考えてみよう。

 

 ハイパーインフレというのは、中央銀行がお札を刷りまくって起
こる「超」インフレのことである。

 

 近年では中南米諸国のハイパーインフレが有名だが、第一次世界
大戦後もドイツで大々的なハイパーインフレが起こった。

 

 事の発端は戦勝国の、ドイツに対する過大な賠償金支払い要求で
あった。

 

 ケインズはドイツに対する膨大な賠償金要求は、再びヨーロッパ
を混乱に引き戻すだろうと予言したが、実際にそうなった。

 

 ドイツは戦勝国に賠償金を支払うために紙幣を増刷するしかなく、
結局とんでもないハイパーインフレを経験することになったのだ。

 

 日刊紙(新聞)の一部の価格は、1921年1月には0.3マルクだった
ものが翌年の十月には8マルク、翌々年の二月には100マルク、同じ
年の九月には1000マルクにまで値上がりした。

 

 その後も物価は高騰し続け、新聞一部の価格は

 

1923年9月1日       1,000マルク
  10月 1日       2,000マルク
  10月15日      20,000マルク 
  10月29日     1,000,000マルク
  11月 9日   15,000,000マルク
  11月17日    70,000,000マルク

 

となった。

 

 このハイパーインフレは賠償金支払いが一時停止され、それまで
の中央銀行であったライヒス・バンクが廃止され、替わりにレンテ
ン・バンクが中央銀行として
「財政赤字を埋めるための貨幣発行はしない」
と宣言するまで続くことになった(1923年末に安定)。

 


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