食生活の変化と自給率の低下

米の自給率が上昇するのとは対照的に、日本の食糧自給率は下がり続けた。

 

カロリーベースでは1970年には60%だったものが1990年には47%まで下がり、穀物ベースではなんと80%(1960)から30%(1990)にまで急下降した。

 

先進国と言われる国で、短期間にこれほど自給率の下がった国も珍しい。

 

先進国と呼ばれる国でこれほど低い自給率も珍しい。

 

と言うのもアメリカやフランスと言った農業国は言うに及ばず、イギリスやドイツやイタリアといった国々でも、輸出入を相殺しての話だが、自給率はほぼ100%に近い状態を維持しているのである。

 

だが実はイギリスや西ドイツやイタリアといった国々も、1960年には日本と同じ80%くらいの自給率(穀物ベース)しか食糧を自給できなかった。

 

それがその後上昇して100%前後の自給率を誇る状態になったのだが、日本では逆に30%まで穀物自給率を落としてしまった。

 

一体この違いは何だろう?一体日本とヨーロッパのこの差は何だろう?日本の自給率低下について少し考えてみる。

 


話をまず少し整理してみよう。

 

まず戦後の農家に関して言えば、1)日本の農家は戦後の農地改革によって再び零細経営を余儀なくされた。

 

そして狭い農地を耕して生計を立てなくてはならないという条件から、確実な換金作物である米を増産する方向にシフトした。

 

そして次に戦後の政府の政策だが2)政府は食糧増産のために新しい耕地開発と、水田の整備(乾田化・交換合併・土地改良事業)を進め、さらに米生産に対して制度的に様々な便益(金銭的利益とその他の利益)を保証した。

 

その背景には工業生産が振るわず、外貨を食糧輸入の代金に回せない国内事情があり、いわば明治30年代の人口増加期と同じような状態になっていた。

 

さらに国際的な食糧生産状況について考えると、3)小麦は常に売るほどあった。

 

米を主食としている国では戦後人口増加が著しく、大量に輸出する余力はなかった。

 

さらに先進国と呼ばれる国々の気候は乾燥気候で雨が少ない事が多く、大量の用水が不可欠な米生産はあまり行われていなかった。

 

つまり日本の農業が小農あるいは零細経営に立ち戻ったお陰でまず換金作物である米の生産が重要視された。

 

次に戦時中に始まった食糧管理法による政府の米買い上げ政策など米生産に有利な政策などが続行されたせいで米生産に制度的な「レント」が常に発生した。

 

さらに先進国があまり米を作っていないと言う「好条件」から外圧が小さく輸入圧力が米には殆どかからなかったという三つの条件から農地利用が強力に米生産にシフトされることとなったのだ。

 

もちろんそれには明治以来の「水田さえちゃんと整備して乾田化すれば、他の作物も裏作としてちゃんと生産できるはずだ」という旧来の考えに、「とにかく米さえあればいいんだ」という思考停止型人間によくある「一芸万能主義」のはびこりが乗っかった結果であろう。

 

お陰で戦後米の生産量は増え、その他の穀物生産量は減ることとなったのだが、主食である米の生産量は増えたのに穀物自給率はなぜかドンドン下がっていった。

 

つまり4)戦後すぐの食糧難から米の完全自給が達成されるまでの間に、日本人の間に小麦食が定着し、普及した。

 

農家や国が強力に米増産を図っているのとはまるで裏腹に、日本人の米離れがもう始まっていたのだった

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