「割り替え」という不思議なならわし

気候による制限は、農村のあり方にも大きく影響を及ぼした。

 

というのも一つの農家が勝手に金になる作物ばかり作り出すと数年後にはもう土地が荒廃し、そうなるとたちまち領主に年貢を納めることができなくなって、村ごと他の領主に売られたりということまであったからである。

 

だからこのころの農業はたいてい「ムラぐるみ」の農業で、ムラの長は土地をどのように利用するかを決定した。

 

農地をうまく割り振って、ちゃんと毎年年貢や税を納められるように苦心した。

 

だが当時も共同農場制では生産のインセンティブがうまく働かなかったようで、だから次第にムラではムラの人数分だけの圃場に農地を分割し、耕作や管理は各農家に任せて年貢や税を支払って残った残余はその土地を耕作した農家のモノとなるようになっていった。

 

ところがここからが我々現代人にはなかなか理解できないところなのだが、そうして土地を分割し各農家に管理と耕作を任せて生産インセンティブを高めているくせに、数年後にはその農地を放棄させ、次に耕す土地はなんと改めて「くじ引き」で決めていた。

 


せっかく土地に慣れ、これからバリバリ稼ごう、…なんていう頃にはもうその土地を手放して村の長から新しい土地を割り当てられる。

 

しかも実は耕す土地は東の端と西の端と南の方なんていう離れた場所の土地だったりするのだ。

 

これを「割り替え」或いは「換地(かんち)」などというが、そうして村人は何年かごとに自分に割り当てられた土地を手放し、そして新しい土地を一から耕すルールになっていたのである。

 

「割り替え」はたいてい次のような順序で行われた。

 

まずはムラ全体の圃場の範囲を決め、そこで何を作るか決定する。

 

夏穀用の土地・冬穀用の土地・休閑地を分け、そこに何を作付けするかを決める。

 

前述したとおり、農地で何を作るかは農家が勝手に決められない。

 

というのもそういうことをすると、土地がすぐに地力を失い荒廃するからである。

 

だから強制的に何を作るかを村で決めた。

 

これを「耕作強制」という。

 

そしてある区域で夏穀に春小麦を作ると決めたなら、今度はその土地を細長く短冊形に切り土地を分割した。

 

土地を細長く分割するのは「犁(スキ)」を使いやすくするためで、だいたい半日或いは一日で犁がかけられるような長さに土地の縦の長さを調整した。

 

冬穀用の土地も休閑地も同じように分割し、そうして農民の数だけ土地を用意した。

 

そうしてこのような短冊形に区切った土地に順位をつけ、良い土地と悪い土地をバンドルした。

 

つまり肥沃な土地から一番・二番・三番、、と言った風に番号を振り、一番いい土地と一番悪い土地、二番目にいい土地と二番目に悪い土地というふうに、結果として収穫が均一になりそうな組み合わせを作り、それを「くじ引き」で各農家に割り当てた。

 

お陰で農家は南の二番の土地、北の五番の土地、西の七番の土地、東の十三番の土地と言ったように、全然別々の土地を「所有」し、その全てを耕さねばならなくなった。

 

土地がずっとその農家のモノならば、農地を一つにまとめてその真ん中に住めば農作業も楽であるはずなのに、なぜかそんな不合理な割り替えを行い、バラバラの土地を耕していた。

 

家畜も割り振られた土地で飼わねばならないから、牛や羊を放牧しに連れていって帰ってくるだけで一日仕事になったりした。

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