エンクロージャーと農民の追放
日下公人さんの本に「学生の頃、産業革命が衣服の大量生産であると聞いて不思議に思った」という一節がある。
そして「じゃあそれまでの人間は、衣服を着ていなかったのだろうか」と日下さんは考え、そして「服くらいが大量生産できるようになったくらいでなぜ革命なのだろう」と不思議に思ったという。
「革命」とはその世界の有り様がガラッと変わってしまうことである。
だからたかだか服が大量生産できるようになったくらいで、なぜ革命なんかが起こるのだ?そういう疑問であった。
だがそれは実は「動力革命」であり「生産性の爆発的向上」であった。
そして「所与の世界」から「努力の世界」への価値観の大転換であった。
それまでは衣服にしても食物にしても、上等なモノはなかなか手に入らなかった。
希少価値を持つ財は高額のレント(プレミア)を対価として支払わねばならなかった。
それに身分制度が厳然として存在していた時代には、庶民は下着を毎日替えたり派手な衣服を着たりすると言う自由もなかった。
身なりは身分を示す根本的なシグナルであったから、身分制社会ではお金があってもそんな「わがまま」は許されなかったのだ。
だから領主や上流階級の子弟として生まれなければ、いくら努力しても好きな服も着れず好きなモノも食えなかったわけだ。
それが産業革命の進展によって余剰生産物が大量に発生し出したお陰で上流階級の子供として生まれなくとも可能になってきた。
様々な機械や動力や科学の発展によって「食品」や「洋服」の大量生産が可能になり、その商品を使って貿易で商人や職人が大儲けした結果、貿易商や職人などの地位が向上し、人々はだんだん自由に振舞う権利を得だした。
金儲けに成功し上流階級のようなマナーズや立居振舞いを身につければ「ジェントリ(紳士)」という貴族に準じた身分に認められ、貴族でなくとも自由な服装をし、馬に乗ったりポロをしたり、テニスをしたりゴルフをしたりできる。
そして社交界にも顔を出せるようになれ、国に対する貢献が認められれば何と貴族になれることだってある。
たとえばサー・トーマス・リプトンは紅茶を世界中に広めたことで、ウィンストン・チャーチルやマーガレット・サッチャーは首相として大きな功績を上げたことで貴族となった。
そんな風に大出世することさえ可能になったのだ。
だから当時の実業家たちや地方の地主たちは商売を拡大し、こぞって成り上がろうとしていた。
農業に適した土地を持つ者は、大規模な輪栽式や自由式の農業で食糧を大量生産して儲けた。
農業にさほど適していない土地を持つ者は、農民を追放して土地を囲いで囲い込み、羊やその他の家畜を飼って綿織物や毛織物の材料を大量生産し、儲けた。
貿易商は英国内でできる毛織物などを輸出し、香料や珍奇な東洋の物産を持込んで大儲けした。
中国から桑の実とカイコが密かに持ち出され、南部では絹製品も生産され始めた。
そうしてその過程で副次的に、「農民は自由になった」。