農業革命前のヨーロッパ農業
現在の世界農業の大本となっているのは、ヨーロッパ起源の農業である。
圃場(ほじょう)つまり田畑を整備して土地を深くまでバリバリ耕し、ダムなどの灌漑設備を作り、窒素・カリ・リン酸などの無機肥料をどんどん投入する、そういう農業である。
だがしかしヨーロッパの農業だって、昔からそういう農業をしていたわけではない。
産業に産業革命というモノがあるように、農業にも農業革命と呼ばれるモノがあって、それ以前はそれとは別のやり方で農業をやっていたのである。
産業革命は大きな革命であったから、多くの人が学校で学んでいるだろう。
だが世界が近代化し、中世の伝統的な封建社会から近代の産業社会に移行する背景には、農業の大変革もあったのだ。
そしてそれが起こらず、食糧の大量供給が可能にならなければ、もしかすると産業革命は十分な労働力を都市に集中することができず、未完に終わったかも知れない。
あるいは革命半ばで工場労働者を養うために周辺諸国に大量の食糧や資源の供給地を求め、大侵略戦争に移行したかも知れない。
農業革命はそういう大きな変革であったのだ。
では農業革命とはどんな革命だったのか。
まずは農業革命以前の農業について説明せねばなるまい。
大雑把に言ってしまうと、農業革命以前のヨーロッパ農業は大土地所有者である「封建領主」とその持ち物である「農奴的農民」によってなされていた。
農奴とは財産などは持つことができるが土地から離れることを禁じられた農民である。
領主は土地と農機具や家畜を農民に貸与し、農奴や小作は見返りとして週に三回くらいの「賦役労働」を行っていた。
耕作は村単位で行われ、領主や教会に年貢や小作料の形で収穫物を納めていた。
だが封建領主は確かに農民と主従関係を結び、広範な権利と裁判権を持っていたが、宗教的な権限はたいていカトリック教会が持っていたので、それは原始的な奴隷関係でもなかった。
「聖なるモノは教会に、俗なるモノは国王(領主)に権限がある」という「二重規範(ダブルノルム)」の中で人々は暮らし、そしてかなり安定した生活を営んでいたのである。