サーベル農法と農業改革
乾田化による二毛作が始まると、今度は地力の低下が問題になり始めた。
いくら水田が地力を維持するのに有利だと言っても、年中作物を作っていれば地力は落ちる。
ヨーロッパの小麦は地力を大きく奪うが、日本の小麦はそれほど地力を奪わない…なんてことはない。
微妙な違いはあってもやっぱり土地のミネラルを大きく奪う。
だから農家は肥料を多投しなければならなくなった。
土地をとことんまで使い、たくさん生産しようというのだからそれは当たり前だ。
以前のように里山から雑草を引き抜いて田んぼに入れるなんて悠長なことはやっていられない。
だから農家は金を払って肥料を買わねばならなくなった。
金で買う肥料だから「金肥(きんぴ)」である。
金肥には都市部の下肥から作られた堆肥や魚肥・油粕、そして後には満州からの大豆の絞りかすなどが用いられた。
だがしかし以前にも書いたとおり、肥料を増やせば直ちに生産量が上がるわけではない。
肥料を与えすぎると作物は腐ったり、あるいはひょろ長くなって倒伏したり、雑草・病害虫が大発生したりする。
だからそのために肥料を多投してもちゃんと育つ品種が開発されねばならなかった。
老農たちによって肥料を多投しても倒伏しないような背の低い品種が選ばれ、その中からさらに優秀な品種が採用された。
害虫・雑草対策には、田んぼに入りやすいように縦横斜めに真っ直ぐに田植えをする「正条植え」が強制され、そして農民には精密で緻密な栽培を行うことを要請した。
だがしかし農家でなくてもたいていの人間は苦労を好まない。
何のインセンティブもないのに、面倒な「正条植え」や雑草むしりなんてやりたくない。
明治農法は農家の労働量を大幅に増やし、苦労を増やすものであったから、農家はなかなかその指導には従わなかった。
従来通り適当に田植えをし適当に収穫しようとした。
しかし穀物の増産は国家の要請である。
だからとうとう田植えの時期になると田んぼに警官が派遣され、腰のサーベル(軍刀)をカチャカチャ言わせながら農民がちゃんと「正条植え」をしているかを監視するようになった。
田んぼに入って雑草取りや肥培管理をちゃんと行っているか、常に見張られるようになった。
もちろん苗代(なわしろ:田植えをする苗を作る場所。
日本のような寒冷地で稲作をする場合は、一度苗を別の場所で栽培しておき、それを改めて水田に植え替える。
世界的には直播きが普通)も、強い苗を作るために一番良い田んぼで苗を作るのが推奨されたが、これもやはり警官が派遣されて監視した。
明治農法は当時の日本にとっては非常に画期的なモノであったが、しかしそれは同時に日本のムラ的共同体的農業を、近代的な産業的農業へと転換させるものであり、従来ののんべんだらりとした農業から農家に勤勉と努力を要求する大変厳しいものであった。
だからこれを皮肉も込めて「サーベル農法」と呼んだりする。
そういうわけで日本農業は、百年前から「米偏重農業」になった。