明治の農業改革・まとめ

明治農法は、言ってみれば農業の工業的展開であった。

 

明治維新以来増え続ける人口と生活向上による食糧需要増をまかなうために、米を始めとする諸産物の大増産をはかり食糧供給を安定化するという目的で行われた「上からの農業改革」であった。

 

その具体的な内容として考えられたのが、まず土地の利用率を上げて食糧供給力を上げることであった。

 

灌漑排水技術を導入して田んぼを「乾田化」し、表作として稲、裏作として大麦や小麦などを植えて土地の利用率を上げ、食糧生産の量的増大を図る。

 

もちろん土地の利用率が上がれば当然土中からミネラルなどの流出が増えて地力が落ちるから、その分を家畜の下肥や金肥(満州からの大豆かすや魚肥を買う)で補う。

 

次に考えられたのが、単位面積あたりの収穫量(反収)を増やし食糧生産を効率的に増やすことであった。

 

田畑に今まで以上にたくさん肥料を投入し、米や小麦をよりたくさん生産しようという試みであった。

 

だが肥料を大量に投入すると、作物はひょろ長くなったり倒伏して腐ったりする。

 

雑草や害虫も増えるし、病気も流行りやすくなる。

 

だから反収増が望めてかつ背の高くならない品種、肥料をたくさん与えても腐らない品種を老農たちが選定し、それを導入した。

 


そしてまた田植えもタテヨコの間隔を農民が入って作業しやすい間隔に植える「正条植え」にするように指導し、雑草取りや害虫の発生を抑えるように農民に強制した。

 

苗も強い苗を育てるために、一番よい土地を苗代として使って作るように強制し、それらを警官の監視の下に行った(サーベル農法)。

 

最後に収量の安定化を図るために、土地を深く掘り返せる犁を開発し、それを馬で引いて耕耘を行うという「馬耕(ばこう)」の導入を奨励した(深く掘り返すと冷害などにに強くなる)。

 

が残念ながら馬耕は無畜農業を基本とする日本の小農業にはそぐわず、あまりうまくいかなかった。

 

そういったわけで「明治農法」は日本農業の問題点である「浅耕・排水不良・少肥(深く耕さない・排水が良くない・肥料が少ない)」の三つのうち二つを解決し、確かに農業の生産性を上げるのに役立った。

 

だがしかしそれは見方を変えると従来のむら的共同体農業を破壊し、農業生産に資本を投下できる者が栄え、できない者が衰退するという農民の二極化を促すモノであった。

 

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