効率より大事なものがあった

個人主義のメッカであり合理主義の発達した欧米社会でなぜそんな不合理で非効率な事が行われたのかと考えると、非常に不思議なことである。

 

だがしかし人々が個人主義で生きるようになったのは実は産業革命以降のことなのであった。

 

人間がモノを所有し個人として自分の生き方を決めることができるようになったのは、実は産業革命や農業革命がヨーロッパ社会に行き渡った後だったのである。

 

だから三百年前は西欧でもそういう「ムラ型社会」が普通だったのだ。

 

人間が自然を克服したりコントロールできるという考えは近代的な考えであって、それ以前はすべて所与の世界つまり「世界は神から与えられたもので変革できないもの」という考えが一般的であったのだ。

 

自然は現代の人間が思う以上に驚異であり、そして畏怖の対象であった。

 

人間が少々努力したくらいでは、どうにもならないくらい強力で強大なモノだった。

 


そんな強大な自然の中で生きるには、どうしても団結が必要であった。

 

強力な領主や教会権力の完全な支配を阻むためにも、団結がまず必要だった。

 

そして団結し、メンバーから最大限の努力を引き出すには、何よりもまず「平等」で「公平」でなければならなかったのだ。

 

かんがい用水を引くのにもムラの他のメンバーの協力が要る。

 

牧草地や放牧地の確保にもムラのメンバーの協力が要る。

 

外敵から身を守ったり、病気になったときに看病してもらったりするにも他人の助けが要る。

 

現代のように薬を飲めば多くの病気から回復できる、火事になれば消防車も呼べる、暴力を振るわれたら警察も裁判所もある、というワケではない。

 

生活の殆ど全ての諸問題は、全てムラの中で対応するしか方法が無かったのだ。

 

だからそういう相互扶助を円滑に行うためにも、ムラの中では「平等」と「公平」がどうしても必要とされた。

 

平等でないムラでは身分の高いモノが低いモノに仕事をさせる。

 

でもそんなことをすると今度は年貢や税も払えなくなり、ムラごと消滅しかねない。

 

そう言うわけで、ムラでは貴重な資源である農地をメンバーに行き渡るように分割し、それを平等にくじ引きで分けることによって、団結と相互扶助のためのインセンティブを維持していたのである。

 

何年かごとに行われる「割り替え」もその調整のための手段であって、人口の増減や働き手の数に応じて農地の区分線を引き直し、常にムラのメンバーを平等に扱うよう、配慮されていたのであった。

 

ヨーロッパでは約三百年前までは殆どそんな状態だったのである。

 

そして後で述べるが日本でも、明治維新時の地租改正まではそんな状態だった。

 

中世というのはそういう時代だったのだ。

 

NEXT:所有の三重構造

このエントリーをはてなブックマークに追加