江戸時代までの日本の農業
中世ヨーロッパの都市がそうであったように、日本の都市もかつては糞尿に覆われた汚い街であった。
牛や馬は所構わず糞をするし、人間もおまるで用を足した後、その中身を道やドブに投げ捨てた。
街の大きな道の真ん中には必ずどぶ川が流れており、それは今で言う下水道であった。
当時のヨーロッパの貴婦人達は、必ずコッポリのようなハイヒールを履き、背の高い馬車で街を移動した。
日本でも下駄やコッポリのような履き物ができ、貴族達は背の高い牛車で移動した。
なぜならそうしなければ道は糞尿で埋め尽くされ、とてもじゃないがきれいな格好をして歩けなかったのである。
お陰で衛生状態は非常に悪かった。
ヨーロッパでは何度も伝染病が流行り、そしてひどいときには人口が三分の二まで減った。
そしてまた平安京の都には異形の妖怪(つまり病人)が出没し、そうして流行病(はやりやまい)が流行った。
パリや京都の街が美しい街となったのは、下水道を完備し、そう言う糞尿を下肥として農地に入れだしてからである。
たい肥を農業に使いだしたのはそれ以来のことである。
農業は当時もやはり自然破壊の第一人者であった。