三圃式と有畜農業

でその産業革命以前のヨーロッパで、どのような農業が行われていたのかというと、何を隠そう有名な「三圃式(さんぼしき)農業」であった。

 

三圃式とは、農耕に適した土地を三つの圃場に分割し、年毎に違った土地に夏作物・冬作物・休閑地に割り当てて春小麦・大麦・エン麦(夏穀)、冬小麦(冬穀)などを生産する方法である。

 

三年周期や四年周期で栽培するローテーションを決めて農産物を作るという、そういうやり方である。

 

小麦のできない寒冷地では、ライ麦なども栽培されていた。

 

そして農耕に適さない村の周囲の土地は「牧草地」と「放牧地」に分け、牛や馬や羊や豚や鶏などの家畜を飼うのに利用されていた。

 

ムラの真ん中の比較的平坦な土地が圃場になり、その周辺が牧草地や放牧地という感じである。

 

牛や豚などの家畜は「ライブ・ストック」と呼び、言ってみれば「生きている食べ物」である。

 

ヨーロッパはそういう家畜を前提とした「有畜農業」で、日本は「無畜農業」である。

 


因みに「牧草地」と「放牧地」の違いは、前者が家畜の冬用のエサやたい肥を作るための草などを生産する土地で「家畜の放牧を行わない土地」、後者は逆に「家畜を放牧しても良い土地」のことである。

 

こういう区別は日本でもあって、たとえばたい肥を作るための草を刈るのが「刈り場」で、家屋の屋根を葺くための草は「かや場」で刈った。

 

ではなぜヨーロッパで三圃式のようなローテーション農業が発達したかと言えば、それはもちろんヨーロッパの気候に大きな原因があったからである。

 

ヨーロッパ特に西欧・北欧といった国々の気候は「乾燥気候」であり、日本や東南アジアのようにジャンジャン雨など降らない地域なのである。

 

ところが植物というのはそんなことはお構いなしに土中からドンドン水分を吸い上げ、それをまたドンドン葉から空気中に放出してしまうから、かの地では何と驚くべき事にたった二年続けて作物を栽培するだけで土中の水分が足りなくなり、三年目にはもうちゃんと作物ができなくなってしまうのであった。

 

作物ができないくらいに土が乾燥してしまうとは、、雨の多い日本で育った人間には、想像だにできないことである。

 

そして雨が少ないと言うことはもちろん外部から農耕地に養分が流れ込む機会も少なくなると言うことを意味する。

 

同じ土地で同じ作物を毎年生産すると特定のミネラルだけ選択的に消費されて連作障害が起こるから、やっぱりそれも不作の原因となってしまう。

 

だからヨーロッパの農家は目の前に広い耕地があったとしても三年に一度は何も作らずに放っておかねばならず、耕地が水分と養分をリチャージ(再涵養)されるのをじっと待っていなければならなかった。

 

たとえ小麦が作りたくても、耕地の三分の一の広さでしかそれを栽培することができず、常に地力に気を配りながら農業を行わねばならなかった。

 

近代以前のヨーロッパ農業は、そういう宿命の下に存在していたのである。