謎の戦後農地改革

昭和16年から始まった米穀の政府による買い上げと小作奨励金の制度は、敗戦後の農地改革後も続けられた。

 

この制度は、小作が穀物生産に励んでも地主に高い小作料を支払わねばならいために生産に対するインセンティブが失われないように導入された。

 

当初は地主に支払う米価と小作に支払う米価は同レベルであった。

 

つまり小作が米150kg作れば、政府は地主に30円・小作に30円支払うという風に米価が定められていた。

 

そして小作人にはさらにその上に小作奨励金が支払われ、結局地主には50円しか支払われないのに小作には300円もの金が渡るという制度に変更されていった。

 

小作重視の政策は敗戦後の農地改革でも引き継がれ、不在地主の農地は強制譲渡となった。

 

強制譲渡とは、要するに在村小作にものすごく安くたたき売るということだ。

 

在村地主の農地も、1haを越える農地は強制譲渡させられることとなった。

 


農地の「耕作権(小作権)」の譲渡も市町村の農地委員会(構成は地主3・自作2・小作5の割合)にはからねばならなくなり、圧倒的に旧小作層に有利な改革となった。

 

このような土地のたたき売りに対して、もちろん地主層は反発した。

 

そしてこのような政策は私有財産制を定めた憲法に違反すると、何度も何度も訴えたが、その訴えは結局最高裁で退けられた。

 

おさまらない旧地主たちは今度は「売却代金が低すぎた」として政府に補償を求め、政府はその後「農地報償法」によって、土地をただ同然で手放した旧地主層にたいし「報償金」を支払いコトを納めた。

 

地主層がなぜそんなに強固に補償を求めたのか、、ボクら農業とは縁もゆかりもない戦後育ちの人間からしてみると、それは実に不可解であった。

 

もちろん自分の財産が法律によって、勝手にたたき売られるというのは納得がいく話ではない。

 

がしかし地主がなぜそんなに強固だったのか?

しかしそれはボクがいつの間にか「当時の日本の農地の殆どが小作地で、当時の農民の殆どが小作農であったような錯覚」を持っていたからであった。

 

終戦前の小作地は全農地の46%・全水田の53%にすぎない

 

つまりおよそ半分でしかない。

 

もう半分はもちろん自作地で、しかも土地ナシ農民は全体の28%にしか過ぎなかったのだ。

 

戦前も農民の半分は自作を基本とした「自作農」「自作小作農」であり、言葉は悪いが土地ナシ小作は一種の「ダメ農家」だったのだ。

 

不在地主ならともかく、ムラで頑張って自作していた農家が自分の土地を何でダメ農家に譲らねばならないのだ?!おそらくそういう憤慨が、旧地主層にはあったのだろう。

 

結局戦後の農地改革によって、それまで約半分を占めていた小作地の約80%が小作人の農地となった。