『サムサノナツ』が、東北を襲った!
だが前にも述べたように、東北の農民人口は既に過剰な状態にあった。
おまけに恐慌で工場が閉鎖され働き場を失った労働者もどんどん帰農していたから、農家一戸あたりの耕作面積もギリギリまで減少していた。
つまり東北の小作人は地主に土地を返すともう生きていけないギリギリの状況にまで追い込まれていてたから、地主の土地返還要求には応じられなかった。
お陰で小作料の滞納は山積みになるし、滞納していると人間関係もギクシャクし新たに借金もできなくなるからさらに関係が悪くなった。
そんな折りもおり、東日本は大規模な冷害に見舞われ大凶作に陥った。
特に1931年と1934年の冷害は「サムサノナツ」と呼ばれ、夏場に気温が上がらないという、とんでもない状況に陥った。
お陰で東北地方では飯米が不足し、欠食児童が問題となった。
身売りされる娘も多くなり(ということはそれを買う、金を持った人間はたくさんいたということだが)、夜逃げや一家心中も頻発した。
小作争議は血で血を争う生臭いものとなり、件数も東北地区だけで1500件以上となった。
これは1920年代の小作争議が全国で1000〜2000件だったことを考えるととんでもない発生数であった。
(因みに全国では1936年には6500件の小作争議が起きているが、近畿地方では半分の800件弱しか起きていない。
近畿では不況でも小作料が値上げされていないのだから、当然と言えば当然ではあるが)これらの大騒動は日本の行く手に大きな影響を与えることとなった。
なぜなら東北の窮状は新聞などのマスコミでも大々的に報じられ、そしてその結果、天皇を国体(こくたい:くにそのもの)とする思想がそれによって脅かされるのではないかと危惧した右翼や軍部などが、東北の窮状を救う名目で軍需生産を増大させたからである。
しかしその軍需産業の発展は東北などの農民に就業機会を与えることになったから、その結果1937年には農産物価格は恐慌以前の水準にまで回復した。
言ってみればそれはアメリカのTVAや、ドイツのヒトラーの軍拡による景気回復と同じ「ケインズ政策」の効果であったのだが、そうして東北や北陸の農民は武器を大生産することで救われたのだった。