明治維新と地租改正

地租改正とはご存じの通り、明治維新時の税制大改革である。

 

それまでの伝統的な(封建)領主への年貢制を改め、国に税金を納める。

 

それまでの伝統的な「物納(現物の何割かを納める)」や「賦役(労働力提供)」を改め金銭で税金を納める。

 

そういう大変革であった。

 

この大改革の大きな役割は、それまでの藩ごと村ごとの自給自足を基礎に余剰物を外部と交換するというかたちの「自給自足風経済体制(つまり自給自足を主とし商品経済を従とする体制)」を廃止し、貨幣による租税徴収によって日本全国を単一の市場としてつなぐ「全国体制」を作り上げることにあった。

 

なぜそういう必要があったかと言えば、当時の明治政府としては鎖国によって後れをとった日本の産業や軍備を何とか西欧列強と肩を並べるレベルまで引き上げる事が急務であり、そのためには何とか工業を始めとする諸産業を興す必要があったからである。

 

それまでの大帝国であった中国が、アヘン戦争ではるか彼方の名も知れていなかったような国の派遣軍に破れ、しかもドンドン土地を割譲されていくような状況を目の当たりにして、日本も何とか資本を蓄積して工業化を進め軍備を整えなければならなかったのだ

 


だがいかんせん当時の日本ではそんな資本蓄積は不可能であった。

 

いくら日本が江戸時代に商品経済が発展させたと言っても、それは三都や新潟などの都市部を中心とした話であって、まだ小規模な段階であった。

 

そしてその他の地域では未だ自給自足的経済中心の暮らしを送っていることが多く、輸出するような農産物を大量生産するような状況にはなかった。

 

そして当時はもちろん現在のように、先進国が途上国の発展のためにとんでもない大金を貸してくれるワケではない。

 

途上国開発援助隊もこないしNGOも来ない。

 

だから明治政府は農業や商工業、或いは鉱業などから少しずつ税金を集めて自力で資本を蓄積するしかなかった。

 

そして主な産業は殆ど農業か農業に関連した産業であったから「土地に税金をかける」という形で租税を集めるしかなかったのである。

 

そういうわけで明治政府は地租改正を行い、そしてその地租は地価の3%と定められた。

 

物納を金納に改め、そして年貢の納め先が領主様から国家に変更になっただけでどうして「大」変革なのか?とも思う。

 

この税制の大改革は日本に近代的土地所有制度をもたらし、そして結果的に農村の有り様を大きく変化させる根本となったのである