米偏重農業のはじまり

米偏重農業のはじまり

「米偏重農業」の始まり

明治30年(1900年)を境に日本国内では米が不足し始めた。

 

それというのも江戸時代には三千万人前後で安定していた日本の人口が、
明治維新をきっかけにどんどんどんどん増加していったからであった。

 

そのペースはかなりのもので、
維新時には三千万人強しかいなかった人口が、
第二次世界大戦が始まるころには既に七千万人以上までに膨れ上がっていた。

 

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<参考・日本の人口>
年次 人口(単位千人)
大正 9年(1920年) 55 963
14年(1925年) 59 737

 

昭和 5年(1930年) 64 450
10年(1935年) 69 254
15年(1940年) 71 933
20年(1945年) 72 147
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どうやら途上国が文明化すると、
生物としての本能が刺激されるらしい。

 

豊作が何年か続くと人口は増えるというが、
伝統部門のみの経済に近代部門の工業が加わった高度成長では、
人口は四倍くらいまでどんどん増加するものらしい。

 

 

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たとえば日本では、
明治維新時で三千万人だった人口が昭和40年代には一億二千万人を突破した。

 

隣の中国でも戦前は約四億人の人口だったが、
現在は十三億人を超える人口を抱えている。

 

インドネシアではついこの前まで日本と同じくらいの人口であったと思っていたら、
いつの間にやらどんどん二億人なんて大きさになっている。

 

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<参考:世界の人口ベスト10>
人口 世界人口
順位 国名 に占める
(100万人) 割合 (%)
世界 5 716 100.0

 

1 中国 1 221 21.4
2 インド 936 16.4
3 アメリカ合衆国 263 4.6
4 インドネシア 198 3.5
5 ブラジル 162 2.8

 

6 ロシア 147 2.6
7 パキスタン 140 2.5
8 日本 126 2.2
9 バングラデシュ 120 2.1
10 ナイジェリア 112 2.0
資料:United Nations, "World Population Pros-

 

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だからそれはもう「倍増」と呼ぶしかない大増加であった。

 

だが人口が爆発したからといって、
それに合わせて農業生産力が爆発的に増えるというようなことはない。

 

農耕地の広さは国土の大きさを越えることはないし、
突然農耕地が肥沃になるなんてことはない。

 

そして人々の生活向上もそれに拍車をかけた。

 

インドネシアの話の時にも書いたが、
生活が向上すると穀物の需要量は増える。

 

人口の増加がなくても生活が向上すると穀物の消費量は1.2倍倍くらいまで増える。

 

人口増と生活向上、
この二つの要因が重なったおかげで、
明治後半の日本では米が不足し始めた。

 

だが国家は国民を飢えさせるわけには行かない。

 

何とか工面して食糧を確保しなければ、
クーデターが起こったり革命(易性革命:政権交代)が起こったりする。

 

だが貴重な外貨を使って米を外国から輸入するだけの余裕はない。

 

茶やハッカやムシロ、漆器や陶磁器、
そういったものを輸出しそれで得た外貨で
イギリスやドイツから殖産興業のための機械を買ったり、
遅れた技術や学問を学ぶために
西欧から有能な学者を招聘しなければならない。

 

綿糸や綿織物を作るために綿花を輸入するならまだしも、
「消費するだけ(喰ったらなくなるだけ)」の食糧を買うために、
当時は貴重な外貨を使うわけには行かなかった。

 

輸入できないなら、自国で何とか作るしかない。

 

だから

 

「米の増産が、明治30年以来の農業政策の最大の柱となった」!

 

それは米不足で稲作が金になるとふんだ地主層の利害とも一致し、
お陰で日本農業は従来の伝統的で地方に適した多彩な農業を放棄し、
水田中心の「米偏重農業」へとその有り様を変えることとなったのである。

 

NEXT:泰西農法と明治農法

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