封建制農民層の消滅

封建領主がなぜ土地なし農民を農奴としてしっかり自分の領土に釘付けにしていたかと言えば、それまでの農業が人手を大量に必要とするモノだったからである。

 

動力もなく大した機械もなかった頃には農業は人力に頼るしかなかったから、そうしてどうしてもたくさんの人手を確保しておかねばならなかったのだ。

 

だがしかし農業技術が発展したおかげで、事情が変わってきた。

 

三年に一度は休ませなければならなかった土地で作物ができるようになったし、かつての休耕地でクローバーやアルファルファなどの牧草を作り、それでより多くの家畜を飼えるようになった。

 

そしてそれまでカブや根菜などの中耕作物は、土地を深くまで掘り返さねばならなかったから重い重量犁やそれを扱う人間が必要だったが、それも蒸気機関や内燃機関などの動力機械の発展で人力を使わなくとも可能になってきた。

 

だからヨーロッパの農業生産力は格段に上昇し余剰農産物が流通し出しすと、領主や地主はより高く売れるモノの生産に特化して稼いだ金でその余剰農産物を買えばよいということになった。

 


そうなるともはや多数の農民を抱えている必要などない。

 

農業機械と少数の有能な農民をつかってノーフォーク・ローテーションのような効率的な農業生産をしたり、あまり肥沃でない土地は囲いで囲い込んで牧場にし、牛や羊など金になる家畜をドンドン飼った方が効率がよくなった。

 

だから土地の所有者達は囲い込みによって不要な農民を追い出し、様々な産物の大量生産に励んだ。

 

ムラから追い出された農民たちは炭鉱労働者になったり、ロンドンやマンチェスターなどの都市に流入して織物工場などの労働者になったりして、拡大しつつあった諸工業の担い手となっていった。

 

そうしておよそ三百年かかってヨーロッパの人々は「個人」という概念と「個の文化」をうち立てた。

 

ムラという「ぬるま湯」の中でぼんやりと暮らしていた農民達はそうしてムラから追い出されることによって「自由」を手にし、近代産業社会を担う「庶民」となったのだ。

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