ヨーロッパにもあった、下克上の時代
ところが東方航路が確立し、アメリカ大陸からの新作物が普及して商品経済が活発化したお陰で、様々な勢力が台頭しはじめた。
胡椒などの香辛料や東洋のツボなど新奇なモノを運んでくる貿易商人たちは王様から様々な特権を獲得することに成功し、そして豊かな生活を送ることを許されはじめた。
都市近郊の自営農家も金持ちになり、領主と対等にモノが言えるようになってきはじめた。
江戸時代の日本でも豪商は苗字を持つことを許され、また刀を持つこと(帯刀)も許されて士族と同列に扱われたが、この頃のヨーロッパでも徐々にあちこちで「金を稼ぐことさえできれば、よい身分やよい地位を獲得できる」という考えが生まれ始めたのである。
だから東方貿易などで商人が大儲けをし始め、その部下も金持ちになり始めると、みんな貴族の真似をして毎日のように下着を替え、きれいな服を着て遊びだした。
サロンなどという社交場を作り、東洋の様々な新奇な物産を並べ、音楽や絵画、算術や科学などの知識を備えた美しい女性をはべらせ、今までは話すことすら許されなかった上流階級の人々と対等に話し、笑うことが可能になってきた。
そしてさらに元々身分の低かった自分の小せがれを、紳士や貴族の通うパブリック・スクール(公営学校ではなく私学である)に通わせ、上流階級の子弟と交流させ、そこでマナーズや立ち居振る舞いを学ばせることも容易になった。
そういう新しいブルジョワ階級というモノの台頭が、さらに農民や庶民の欲望を刺激していった。
世の中はそうして徐々に「所与の時代」から「努力の時代」へ、「身分制社会」から「自由と平等の社会」へと変化していったのだ。
だがそういう社会では、能力がいる。
自分の好きなことができるというウラには、自分で物事を判断して選択しなければならないという厳しい問題が起こる。
中世ではいらなかったはずの「読み・書き・そろばん」の能力や知識力が近代社会でなぜ必要になったのかといえば、つまり身分制社会では考えても仕方がなかった諸々のことを考える必要がでてきたからである。
そしてそれを決めてくれる身分の高い人間や、さほどの努力をせずとも自分を養ってくれるムラや封建領主という存在がなくなってしまったからである。
産業革命以後の近代社会は自由と平等を基礎とする社会だからこそ、個々人が計算合理性によって判断して行動しなければならない社会になったのだ。