中耕作物と農業機械の発達
産業革命の影響はもちろん農業にも大きな影響を与えた。
それまで人力で行わなければならなかった耕作も、蒸気機関を利用した様々な機械によって行えるようになった。
それはもちろん現在のような細かな作業には向かなかったが、少なくともしっかり田畑を耕し、かなり深いところまで大地を掘り返す事ができた。
大地を深いところまで掘り返せるようになったくらいで一体何が変わるのだ、なんて思ったりもするが、実はカブやダイコンと言った根菜などを栽培するにはそうして田畑を深く掘り起こさねばならない。
深いところまで空気を含ませ、そして大きく育つように土を柔らかくしておかなければならない。
けれどそれまではの「耕うん」は、全て人力で行っていた。
牛で引く重い「重量犁(じゅうりょうすき)」もあったが、殆ど農民が自分の力で土地を掘り返し、それら中耕(ちゅうこう)作物の栽培を行っていたのだ。
中耕作物とは深く耕さねば栽培できない作物で、カブやダイコン・ニンジンのたぐいであるが、そうして苦労してカブや根菜を作っても、実はさほど大した金にはならなかった。
だから人々はカブや根菜を作るインセンティブを持たず、大規模な栽培も行われていなかったわけである。
だがしかし、産業革命によって様々な分野に動力機械が応用され始めた。
アイトの蒸気機関を使った犁やザックの条播機・収穫機、そしてランツの遠心分離器(バターなどの生産に使う)やアペールの缶詰製造機。
十九世紀の半ばにはそうして様々な機械が農産物の生産に用いられるようになって行った。
そのお陰で農家は手間のかかる中耕作物をも容易に栽培できるようになったのだが、実はこれが農業に大革命をもたらすことになった。
何と大量生産したカブなどの根菜を牛などに食わせてもちゃんと牛が育つ、ということが確認されたのだ。
カブで豚が太る?
大量生産したカブなどの根菜を牛などに食わせてもちゃんと牛が育つ…実はこれは大変な発見であった。
なぜならそれまでは家畜というのは放牧して育てねばならないものであったから、飼える家畜の頭数の上限は放牧地の土地の広さで決まっていたからである。
ところがカブで家畜が飼えるなら、その頭数は生産できるカブの量で上限が決まってくる。
すなわち今までよりたくさんの家畜が飼えるようになってきたのだ。
だからこのころから家畜は「舎飼い(しゃがい)」するようになった。
舎飼いとは家畜専用の畜舎を建て、そこで家畜を飼うことである。
そしてそれはまた、他の作物の生産量も増やすことにつながって行く。
なぜならたくさん飼った家畜はたくさん糞をするから、それを田畑に入れれば土地が肥沃化し、収量が増加するからである。
つまり「クローバーを牧草として利用できるようになった」「機械で土地を深く掘り起こすことができるようになった」「カブや根菜の栽培が広まった」ということから家畜がたくさん飼えるようになり、肉や乳製品の生産量が増えた。
家畜の糞などを利用して施肥が簡単に行えるようになったお陰で、穀物やカブなどの生産量も増大した。
耕地が肥沃化したので休耕しなくても良くなった。
…と言う風に農業生産がどんどん拡大していったのである。
ヨーロッパの農業はそうして伝統的な三圃式から穀草式へ移り、そしてさらに「夏穀」「クローバー」「冬穀」「カブ」を生産する「四圃式」やもっと複雑な「ノーフォーク・ローテーション(六圃式)」などの「輪栽式(りんさいしき)」に移っていったのである。