ジャガイモが、ヨーロッパの飢餓をなくした!
ジャガイモが、ヨーロッパの飢餓を救ったそしてジャガイモに至っては「救荒(きゅうこう)作物」とまで呼ばれ、相当の荒れ地でも栽培が可能な作物であった。
救荒作物とは、凶作や飢饉を救う作物と言うことである。
イギリス領の断崖絶壁の孤島でも、他の作物はできないがジャガイモだったら栽培できる。
昆布(ケルプ)などの海草と薪の灰を混ぜたモノを肥料として、土とは言えないような土でジャガイモを栽培している所をテレビで見たことがある。
よくもあんな環境で育つものだと感心するくらいなのである。
だからドイツのフリードリヒ大王などは、領地内でさかんにジャガイモの栽培を奨励した。
城や宮殿の周囲にジャガイモを植え、その白い花まで観賞してみせたという。
そうしてフランス以外のヨーロッパでは、瞬く間にジャガイモの栽培が普及した。
なぜならとにかくジャガイモさえ栽培していれば、飢饉だけは避けられたからである。
第二次世界大戦中でもジャガイモだけはふんだんにあった。
スイスなどでは、バターが足りなくて食えないのでそこら中に放置されてあったなんて話もある。
ジャガイモはタンパク質や油脂分が少ないから、食べるにはどうしても脂分が必要だった。
醤油があれば良かったんだが、そういうものがないから食糧不足なのに捨てられた。
ドイツ人はだから、ジャガイモが渡来した後ジャガイモを主食として栽培し、余った分をブタに喰わせるようになった。
それまで主に栽培していた雑穀を食べるのを止め、それでビールを造ったりブタに喰わせてブタを増やすようになった。
そうしてハムやベーコンやソーセージを大量生産し、ドイツ人はビールとソーセージとジャガイモを喰って暮らすようになったわけである。
グロテスクな拳ほどの大きさほどのイモの渡来が、そうしてヨーロッパの農業や日常の食事を大きく変えていったのである。