貴族のまねが産業革命を推進した?

中世とは言わずと知れた「身分制社会」であった。

 

農家の子供は農民に、貴族の子供は貴族に、と生まれた家によって人間の将来は殆ど決まっていた。

 

そしてそれと同様に世界は神や君主によって「決められたもの」であり、「与えられたモノ」であった。

 

「神様がこう言ったからこうだ」「領主がこう決めたからこうだ」そう言う風に神父や領主が黒と言ったら、たとえ白でも黒だと言わなければならない。

 

つまり世界は「変更不可能なモノ」であり、変更してはいけないものであった。

 

これを「所与(しょよ)の世界」というが、そこでは人間は(少なくとも庶民は)教会や領主の決めた通りに振る舞わねばならず、何を着るのも、どこへ行くのも、厳しい制限と規制があったのである。

 

それは現代に生きる我々から見ると、非常に奇異に見えるような意味のないモノが多い。

 

宗教組織が組織の信徒に訳の分からないことを言って、何かを強要するようなそんな感じのことが多い。

 

だがしかし身分制社会においてそういう規制は、社会を構成していくための各人の身分を示す主要なシグナルであるから、それを疎かにすることは許されないのである。

 

なぜならそれは社会の秩序を崩し、ヒエラルキーを破壊するからである。

 


たとえば庶民は、貴族や王族のように下着やパンツを頻繁に替えてはいけなかった。

 

毎日どころか、週に二回下着を替えても「ゼイタクだ」と言われ、処罰の対象になったりした。

 

もちろん派手な服装をして遊んだりしてもいけなかったし、女がズボンをはいたりしてもいけなかった。

 

当然ながら中世時代は自由に旅をすることもできなかったし、勝手に住居や仕事を変えるということもままならなかった。

 

絵画を描くというような芸術的な作業においても、人物は九頭身で描かねばならないとか、聖職者や英雄は真ん中に大きく描かねばならないとかいう決まりがあった。

 

それは実は江戸時代の日本でも同じ事で「庶民は黒い足袋しか履いてはいけない」だとか「許可を受けた者しか村の外に出てはいけない」だとかいう規定が厳しくあった。

 

つまり近代以前の世界では、いくらお金がたくさんあってもできないことがたくさんあったのだ。

 

お金がいくらあったしても身分の低い者は着たいモノも自由に着れず、したいことも自由にできなかったのだ。

 

それが可能だったのは身分の高い家に生まれた者か、せいぜい貿易の盛んな自由都市に住む貿易商などの特権商人くらいのものであった。

 

とんでもない能力を発揮でもしなければ、身分の低い者は常に最も貧しい貴族より貧しい格好をせねばならず、決してその規範を超えてはならなかった。

 

貴族がきれいな服を着、楽しそうに遊んでいるのを見ても、地味な格好で暮らさねばならず、そして一緒に遊ぶことどころか口さえきくことも許されなかったのである。

 

前近代的社会はそうした厳しい身分社会であったから、人々はお金を稼ぐインセンティブなど持たなかった。

 

そんな努力をしてみても、欲しいモノも楽しいモノもまるで手に入らなかったのだから、それは当然である。