農業革命から近代農業へ

そういうわけで大航海時代を経て東洋の珍奇な産物がヨーロッパに持ち込まれ、アメリカ大陸からはジャガイモやトウモロコシ、トマトなどの荒れ地でも育つ新作物が導入された結果、ヨーロッパでは食糧の増産が可能になった。

 

そしてさらに動力革命がおこり中耕作物の生産が容易になり、テーアやチューネンが産業としての農業を確立し、リービッヒが「三大肥料(窒素肥料・カリ肥料・リン酸肥料)」を発見した結果、ヨーロッパの農業は小農が没落しどんどん大農化した。

 

また育種学や繁殖学、防疫学や植物保護学などの発展や農芸化学の発展など様々な農業化学の発展があり、農業機械の発展や農業経営経済学の発展(限界革命)も農業経営に寄与し農業生産に役だった。

 

大きな河川を使っての運搬や貿易や海運が盛んになったお陰で、かなりの土地で「自由式農業」が行われるようになり、そうしてとうとうヨーロッパは「飢餓のない世界」を築き上げた。

 

だが運送手段が発展しすぎた結果、農家は常に高い生産力を維持しないとやっていけなくなった。

 

どこでも自由に作物が栽培できるということになると、遠く離れた産地とも価格や品質の面で激しく競争しなければならないということである。

 

だから世界が狭くなるにつれ、競争相手の数がとんでもなく増えて低コストで生産ができなければもう太刀打ちできなくなってきた。

 


言ってみれば二百年前にはせいぜい隣ムラと地域の運動会で競争して勝ったり負けたりしていればよかった。

 

それがどこでも自由に農業ができるようになるにつれて県大会・地方大会・全国大会・ヨーロッパ大会といったふうにだんだん大きな大会で勝ち残らねばならなくなっていったということである。

 

そしてGATTウルグアイ・ラウンドやWTO(世界貿易機構)では、とうとう世界単一市場で農業も勝負して行かねばならなくなった。

 

もちろん一位になる必要はないが、勝ち残らねばならないということであるが。

 

だからこそ農家は土壌や河川・地下水を窒素汚染しながらも化学資材(化学肥料・除草剤・防虫剤・防疫剤・土壌改良剤など)を多投入し、草食の牛に肉骨粉なんて言うとんでもないモノを食わせるようになったのである。

 

国家は農地が余っている状況下でも農業を保護し、より生産に有利な干拓地や農地整備に血眼になって金をかけているわけである。

 

農業が発展し、農業生産が自由に行えるようになったということが、かえって土壌劣化を省みない換金作物優先生産を進め、国土の汚染を進めるとは、皮肉なことではある。

広告


このエントリーをはてなブックマークに追加



売れてます