土地「私有」の効果
明治の初めに行われた地租改正は、図らずも日本に近代的土地所有制度をもたらした。
それまでの重層的かつ公的な土地所有(総有)、すなわち「上土は農家のモノ。
中土はムラのモノ。
底土は天下のモノ」といった三層構造をなしていた所有概念が覆され、そして排他的で独占的な概念である「私有」という形の所有概念が持ち込まれた。
「私有」というのはもちろん「私有するモノをどのように処分しても良い」という権利ではない。
「『組織の経済学」でも登場したが「私有」とは「他に影響を及ぼさない限りにおいて自由にコントロールできる」という所有権である。
株主がいくら「会社の所有者はオレだ」と言ってみても、会社が銀行から大金を借りていたなら銀行だって口を挟んでくる。
会社の中枢を支える社員や従業員も会社の方針や業績に関しては文句を言ったり批判をしたりするし、経営管理者も株主に対抗して策を弄したりする。
だからそういう最低限必要な福利的・渉外的な諸費用や配慮を差し引いた残りの利益や厚生を、誰が請求しえ、誰がコントロールできうるかという概念で「所有」と言うモノが規定される(残余請求権・残余コントロール権)。
が、そんな不完備な所有概念であっても「私有」となると特別な意味を持ってくる。
というのも「私有物に対しては資本を投下しやすい」という性質があるからである。
「割り替え」があった時代には、いくらその土地に肥料を入れうまく灌漑を工夫しても、何年か後にはまた別の農家が耕す事になって資本の回収が事実上不可能だった。
土地はムラの公有であり村人全体の総有だったが、個々の農家の取り分は自分の耕した土地で取れた作物によるモノだったから、そういう行き過ぎた投資は逆に自分のクビを締めることにつながったのだ。
だが土地が「私有」であるならば、その投資によって得られる利益を自分で受け取ることができる。
自分の所有である限り何十年も先まで自分の努力の対価を受け取る事ができるのであれば、努力して土地を良くするインセンティブがそこに生じてくる。
土地は「私有」であるから、その土地に対して行った働きかけの結果も「私有できる」わけなのだ。
土地が「国有」であったソビエトや中国などの共産主義国などでは「努力して生産力を上げても、ノルマが増えて返って生活が苦しくなる」という「ラチェット効果」が発生した。
これがかの国の生産性を著しく損なったのもつまりそういう「私有」の効果が理解されなかったせいであろう。
だがその一方で土地の私有は別の問題を引き起こした。
というのも土地が近代的な「私有」となったせいで、土地の売買が可能になったからである。
何度も書くが地租改正は明治政府が徴税のために敷いた制度であった。
だから明治政府にとっては、地租さえちゃんと納めてくれれば所有者は誰でも良かったので、農地を誰が所有しようと構わなかったのである。
が所得税方式で税金を集めず土地に対して税金を課すという制度を導入した事で、日本に「土地合体資本」が形成されてしまったのである。
すなわち「土地を制するモノが利益を得る」という「土地本位制」が日本にできあがり、やがて明治の末期から昭和の初期に多くの「寄生地主」と呼ばれる「農業をしない地主」が現れ、小農の生活を大きく揺るがし始めたのである。
それに関してはまた後の話とすることにするが、地租改正はそういうわけで日本に様々な大きな影響を与える「特大改革」となったのだ。