ブランドに包まれる幸せ

ブランドに包まれる幸せ

さらば価格競争。コモディティ化の罠から抜け出せ!―コモディティ、製品、サービスに続く、第四の経済価値「経験」

人々が日常生活をブランドで埋め尽くすのはなぜか?

ブランドはもはや、商品の品質や特性あるいはその便益を示す目安ではなく、そのブランド商品を身にまとって、日常生活を送る事に喜びを感じることができるものとなった。

 

だからある人はつま先から頭のてっぺんまでシャネルで揃え、別の顧客はナイキでつま先から頭のてっぺんまで揃える。

 

顧客は商品を購入し使用し、あるいは所有することで得られる経験(エクスペリエンス)そのものが、現代の「ブランド」の意味なのである。

 

人々がそういう使用/所有による経験を求め出すと、それを可能にする商品への需要が高まる。

 

たとえば生活を全て、シャネルで染めてしまおうという人がいたとする。

 

そうするとその人は(たとえ商品として存在していなくとも)シャネルのマークの入った商品で部屋や生活を埋めてしまいたくなる。

 

シャネルのバッグ、シャネルの香水、シャネルのブローチ、シャネルの帽子。

 

シャネルのスーツ、シャネルのイヤリング、シャネルのスリッパ、シャネルのロゴの入ったキーホルダ、シャネルのロゴの入ったケイタイ・ホルダー。

 

果てはシャネルの扇子やウチワ、下駄、豚の貯金箱や蚊取り線香、本物であろうとなかろうと、そうして生活の全てをシャネルで埋め尽くす。

 

これがつまり「所有と使用による経験(エクスペリエンス)価値」をつくりだしているということである。

 



ブランドメーカーは、生活の全てを提案しなければならない

ブランドとは、生活スタイルを表すもので、それを持っていたり身につけていたりすることで、自分の生活をデザインするものだ。

 

特定のブランドの商品を持ったり、それを使ったりする生活で得られる満足が、ブランドという価値なのだ。

 

だからたとえばシャネルというブランドに、「所有と使用による経験価値」が求められれば、シャネルはシャネルのロゴの入った歯ブラシでも爪楊枝でも便器でも便座カバーでも、何でもかんでも作って高く売ることができる。

 

毎年毎年「個数を限定した新商品」を出し、コレクターに収集させるという商売も可能となる。

 

個数を限定すれば売れ残りは殆ど発生せず、また値崩れも起こりにくいから、市場競争のなかを勝ち抜いて、わずかな利益を得るようなことをせずとも高い利益を上げることができる。

 

これはナイキ・ブランドにおいても同様である。

 

たとえばナイキでは靴をフット・ウエアと位置づける。

 

シャツやトレーナー、パンツなどはスポーツ・ウエア、普通の腕時計やオーディオにもナイキのデザインを施したとたん、「タイム・ウエア」と「オーディオ・ウエア」。

 

ナイキで生活を埋めたい人々は、これらの商品をナイキの希望小売価格以上の金を出して買う。

 

ナイキを身にまとってスポーツをしたり街を歩いたり、そういう所有と使用による経験(エクスペリエンス)を得るために。

 

そしてシャネラーが毎年新作のバッグを競って買うように、ナイキ・マニアも「エア・ジョーダン」というシリーズを買い漁る。

 

自分で使うためと言うより、飾ったりタンスの置くにしまうために。

 

NEXT:希少性と物語


スポンサードリンク

このエントリーをはてなブックマークに追加