勉強する理由1
「勉強なんかして、いったい何の役に立つの?」と、たまに生徒に尋ねられます。
「大人になって、こんなの必要なの?」
特に関数とか、方程式とかでつまずくと、必ずそんなことを言う人がいます。
関数とか方程式というのは、イメージができないと無味乾燥なものですから、ハッキリ言って、つまりません。
だから、そういう質問や疑問が、必ず出ます。
そういうとき、どう答えればいいでしょう?
これから教師にでもなろうかという若い講師とか、家庭教師とかは、たぶん、こういう風に答える人が多いでしょう。
「たとえばさ、二つのものをたくさん買いたいんだけど、お金が千円しかなかったりしたとき、どうする? そういうときに役立つでしょ?」
つまり、関数とか方程式とかの、実用法を紹介するわけです。
でも、これで納得する生徒なんかいません。
機転の利く子なんかにはもう、
「だったら、友達にその計算をやってもらうから、あたしはこれやんない」
とか言われて、おしまいです。
勉強が苦手な人は、苦手な勉強から逃れるセリフをいつも考えていますから、付け焼き刃の答えなんか、通用しません。
今だったら、もしかして
「友達に頼んだとしても、もしかしたらアネハ建築士みたいに、ウソ教えられるかもしれないよ。だから自分で計算できなきゃ」
といえば、多少は納得する人もいるかもしれません。
でもハッキリ言って、そんな風に使う人はまずいないでしょう。
それに「じゃあ、先生は建物の構造計算できるの?」とか言われたら、言葉に詰まります。
使わないものを、なぜ勉強するのか?
そもそも何で関数やら方程式とかやるのか?
理由は、ハッキリしています。
僕は大学の筧先生の「教育学」の授業で、それを知りました。
世の中には、技術者が必要!
今のカリキュラムができたのは、戦後しばらくしてからのことです。
今から4〜50年も前の話ですが、そのころは、今頃工業全体がコンピュータなどの高度な機械を使うだろう…という予想をしていたからです。
当時は、エニアックなどという、研究室いっぱいの真空管を使って、ミサイルの弾道計算などをしていた時代です。
が、それがこれからは欠かせない技術になっていくだろうことは、誰の目にも明らかでした。
そして1980年代には、コンピュータなどの高度な機械を扱う技師が、高卒大卒併せて、数十万人も不足するだろうという風に、予測していたのです。
日本は、天然資源の少ない国です。
チタンや石灰石などは産出しますが、大事なエネルギー源である石油や石炭は、産出しなかったり掘るコストが高すぎたりします。
それが実は、第二次世界大戦になだれ込まざるを得なかった、大きな理由の一つだったわけですが、戦争に負けて、石油の出るインドネシアなどの国を勢力下に入れることに、失敗してしまいました。
仕方がないから、日本は、モノをつくって外国に売って、その手間賃で、石油や石炭を買うしかない国になりました。
つまり日本はそこで、工業中心にやっていこうという国になったわけです。
だから物作りの中心である工業で、技術者が足りなくなれば、立ちゆきません。
それを避けるためには、数学や理科のカリキュラムを充実させておかねばなりませんでした。
そのために、本来は難しい概念であるはずの関数や方程式を、みんなにやらせるようなカリキュラムになったわけです。
来るべき、一億総技術者時代に備えて。