始末屋の多い愛知からきたシンガイ君

始末屋の多い愛知県からやって来たシンガイ君も、どうやらボクと似たような意見だったらしく、事あるごとによく「ゼータクだわ!」と愛知なまりで怒っていた。

 

「たかが大学で勉強するだけなのに、どうしてそんなにいい所に住まなきゃならんのや!」と、そう言ってよくカリカリしていた。

 

「そんなこと言ったって、ちゃんとした生活してないと、うちの親は心配するんだよ。

 

ボクは子供の頃身体が弱かったし、何かといっちゃあ熱を出して親に迷惑かけてきたもんだから、少々家賃が高くてもいい部屋に住んでないと、母親が納得しないんだ」アマノ君がそういい訳しても、彼は耳を貸さずいつものようにアマノ君を非難した。

 

「そら確かにそれはそーかも知れんけど、それでもやっぱ学生の分際でバス・トイレ・エアコン付はないやろ?
風呂だって近くに銭湯があるんだし、勉強するなら図書館だって喫茶店だってある。

 

なのになんでそんなゼータクせにゃならんのや?」。

 

家が近郊農家で、そこそこ裕福な暮らしをしているシンガイ君にしてみても、それは不必要な贅沢に見えたらしい。

 

今でこそ部屋にエアコンやクーラーがあるような暮らしは珍しくなくなったが、当時はまだ上場企業の社長をつとめていたボクのおじさん宅にも、クーラーは一台しかなかったような時代だった。

 

だからそんな贅沢な暮らしに染まり、親頼みで裕福な学生生活を送っている彼に対し、後に高校教師となる彼は教育的配慮から、それをたしなめるべきだと考えていたらしい。

 

「人生そんなにイイことばっかり続かんで、一生何もせずに豊かに暮らせるんなら、そういう暮らしもいいかもしれんが、一旦そこから転げ落ちたらどうするんだ?
学生時代ぐらい質素に暮らした方がエエと思うが。
なあミチモト?」…と彼はたびたびアマノ君に言い、ボクに同意を求めた。

 

そしてボクが「うんそーやなー」と応えると、我が意を得たりとさらに倹約の道を説いた。

 


だがしかし千葉で米屋やアパートなどを経営していた、裕福な家庭に育ったアマノ君にしてみれば、それは特に贅沢なことでも何でもなかった。

 

アマノ君の裕福な親にしてみても、京都のワンルームマンションに支払う家賃は、千葉で同じような部屋を一部屋貸して、入ってくる収入をそのまま京都に回すだけのことだったし、それで特に何か困ったり誰かの苦労が増えたわけでもなかった。

 

だからアマノ君はシンガイ君がそういう事を言うたびに、まじめな顔をして言い返した。

 

「そんなこと言ったってお金があるのに、何もわざわざ安いアパートに住んで勉強しなくたっていいんじゃない?
お金がなければボクだってそういうとこで暮らすだろうし、だいいち大学には勉強しに来たんだから、それ以外のことでわざわざ苦労するなんて目的に反してるよ」

 

「お金のある時に楽しまないでお金のない時も楽できないんだったら、結局誰も幸せになんかなれないんじゃない?
それに親が子供のためにできるだけのことをするのは当然で、ボクが親から受けた恩はまた子供に恩返ししていけばいいんだから、何もそんな風にわざわざ親にお金を押し返してまで、無理して暮らすのはやっぱりおかしいよ」。

 

アマノ君の意見はきわめて妥当で、今にして思えば全く当たり前の意見だった。

 

がしかし倹約に励み質素な暮らしをし、お金があろうが無かろうが一生懸命働くのが、正しい人間のあり方だと考えていたボクやシンガイ君には、アマノ君の考えがどうしても理解できなかった。

 

頭ではそれが正しく妥当なものだと理解できても、心はそれに強い拒否反応を示した。

 

ボクらはどうも自分たちが何のために倹約したり、金を貯めたりするのかなんて考えず、ただ予定調和的に
「倹約すればそれでいいのだ」とか
「質素であれば後はうまくいくのだ」などと決めつけて、そこで思考停止していたらしい。

 

だからアマノ君がおじいさんの葬式帰りに、以前から欲しがっていたカメラとレンズを買って帰ったときも、「それはないんじゃないか?」と議論になった。

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