不完全なコミットメントと共同特化した資産

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用語の説明

 

「投資(インヴェストメント)」: 将来に渡って便益やサービスのフローを生み出す可能性がある資金やその他の資源の費消である。

 

「資産(アセット)」: 投資によって生み出されるであろうフロー全体。

 

家屋や機会のような実物資産は何年もに渡って住宅サービスや製造サービスを生み出す。

 

貯蓄性債権や金融資産、特許権や著作権なども「資産」である。

 

「人的資産(ヒューマン・キャピタル)」: 教育投資によって人間は人的資産を得る。

 

これは将来のかなりの長期間に渡って所得フローや便益フローを生み出す。

 

不完全なコミットメント問題

 

 比較的簡単な契約ですら、いろいろな問題や争いを引き起こす。

 

 それは契約というモノが、不完備であり不完全であるという性質を持つ以上、致し方ない。

 

だがしかし「便益の発生が長期間にわたる大規模で多額の投資を必要とする場合、つまり多大な投資を長期間に渡ってした後でないと、財やサービスが生産できないような場合」には、「不完全なコミットメント」が取引上でより大きなインパクトを与える原因になってしまう。

 

 膨大な借入金を使って工場を建て、仕事に忠実な人材を集めて長期に渡る職業訓練を施した後でいざ生産に入ろうとしたら、契約していた原材料会社が突然材料を売らないと言い出した、、、 原材料が入ってこなければ、生産など始められない。

 

そうすると、今まで投じた大金や大勢の人間の労働が全部無駄になる。

 

それにつけ込んで、原材料会社は材料の値段を当初の何倍モノ値段で買えと言い出したりする。

 

 或いは企業や組織の将来のために社員教育に何百万もの金をかけてある社員を海外で研究させたりMBA(経営修士号)を取らせたのに、資格をとるや否やさっさと高額報酬を提示した他の企業に鞍替えしようとする。

 

 つまりこのような「多額なお金と時間を散々投資した後で、その成果を回収しようとした途端に契約破棄がなされる」のが「不完全なコミットメント」であり、こういう不完全なコミットメントが生じるようになると、安心してこういう長期的な投資ができなくなると言う問題が「不完全なコミットメント問題」である。

 

 不完全なコミットメント(契約相手が将来契約を守らないでごねる恐れ)が生じると、その結果有益な大きな仕事や長期間に渡る仕事が不可能になる、というのが「問題」なわけである。

 

 そしてこの手の問題でいちばん問題となるのが「特殊的資産」への投資である。


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共同特化した資産

「特殊的資産」とは、ある特殊な状況や関係のもとでのみ、価値が極めて高くなる資産の事である。

 

 特殊な状況や関係というのは、地理的な関係や時間的な関係など様々な場合があるが、その重要な特例として「共同特化した特殊資産(コ・スペシャライズド・アセット)」がある。

 

 たとえば山奥に炭坑と石炭火力発電所が併設されているような、そんな場所があるとする。

 

 炭坑は発電所に石炭を供給し、発電所は炭坑に発掘のためのエネルギーを供給する。

 

 そんな状況でもし炭坑と発電所のうちのいずれかが閉鎖されてしまったら、もう一方の存在価値はぐっと減ってしまう。

 

というのも火力発電所の近くに炭坑があるからこそ輸送コストが節約でき、そして発電所の発電する電力を優先的に利用できるからこそ、石炭の発掘コストを引き下げることができるからである。

 

 この炭坑と発電所という資産の所有者が同じであれば、まず問題はない。

 

 片方だけ操業を続けてもう片方を廃止するなんて不経済な事は、まず考えないだろう(つまり二つで一つと考えるだろう)。

 

 だがこれらの資産の持ち主が異なっている場合は、一方がもう一方の資産所有者の行動に依存せざるを得なくなるから大変だ。

 

 炭坑の近くに発電所を設けると石炭を調達するコストが安く上がると思って電力会社がいざそこに発電所を建設すると、石炭会社の値上げに会うと言ったことがしばしば起こってしまう。

 

 資産の所有者が異なると、共同特化した資産によって発生するレント(儲け)はそうして立場の強い方に吸収されてしまう。

 

 自由経済では、経済が財やサービスの需給バランスの均衡する価格に向かう運動をする。

 

 だから、資産の所有者が異なるとどうしてもそう言うことになってしまうのだ。

 

 そう言う一つの例として「原発で作る電力は安くない」と言う話があるので、ついでに覚えておくといい(外部性や環境とも関係ある話)。

 

原発で作る電力は安くない

 

 二三十年前に、世界中で原子力発電所がドンドン建設された時期があった。

 

 原子力発電は火力発電や水力発電などと比べて大電力の発電が可能で、ランニング・コスト(kwh当たりの発電費用)が安く、燃料のウランもトン当たりの発電量がとんでもなく大きいから、火力発電所をたくさん作るより原発を一つ二つ造った方がはるかに安く付く。

 

 だから各国の電力会社は原発をたくさん作るようになったのだ。

 

 しかし、いざ原発を作ろうとすると、だんだん建設予定地の住民の説得に膨大な時間と費用が必要となっていった。

 

 そして実際原発を建設してみても、運転し始めた頃にはウラン会社が燃料の値上げをし始めていたり、OPEC(石油輸出国機構)が石油を増産し始めて石油価格が他のエネルギー価格と比べて安くなりはじめたり。

 

 あるいは危機管理や地元への貢献に対する支出が当初の見込みの何倍も必要となって、結局あまり利益がでなくなってしまったのである。

 

 これはつまり原発で発電した電力も火力発電所で発電した電力も商品としてはまるで同じである。

 

 だから、大規模に世界中で原発ができたことによってウラン以外のエネルギーへの需要が減り、そのせいで他のエネルギーの価格が下がったせいである。

 

 そして他のエネルギー生産も原発に負けないように様々なイノベーション(技術革新)を行って、生産コストを引き下げて対応したからである。

 

 自由経済の運動原則は「レント(儲け)が小さくなる方向に進む」ことであり、「大きなレント(儲け)が生じるところには、そのレントを分けてもらおうとする様々な人間が集まって、利益がどんどん削られる」のである。

 

 そういうわけで結局原発で作った電気も火力発電所で作った電気も、コスト的には対して変わらないと言うことになってしまった。

 

 共同特化された資産の所有者が異なると、結局そう言う風な自由経済の原則によってその利益がとれなくなったりするのである。

 

(つづく) 

 

 

今回の・・・ 

 

投資すれば有益であるような投資が妨げられるような問題としては、他に「債務超過による過少投資」の問題があったっけな。

 

 つまり投資すれば儲かる可能性の高い事業があっても、その企業や組織が膨大な借金を抱えている場合には、投資した金や財産が借金の返済に充てられて、投資した者は馬鹿を見てしまう。

 

 そうなるとどんなに確実に見える事業があってもその企業には投資が行われず、ゆくゆくは債務超過で倒産して金を貸した金融機関も大損をすることになる。

 

 だから、金融機関は投資者が投資を回収できる水準まで「借金を棒引きする」。

 

 上手く行けば企業も持ち直すし、銀行も貸した金を返してもらえる可能性が大きくなる。

 

これがつまり「そごう」やゼネコン各社に対して行われている銀行の「債権放棄」というやつ。

 

 だけど「確実なリターンのある投資」っていうのが、そもそも少ないんじゃなかろうかね。

 

せめて単年度が黒字でないと。

 

 以上「よむのでR!」の復習でした。

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