アマノ君のこと
アマノ君のこと
アマノ君は、ちょっと個性的な髪をした学生だった。なんと言えばいいのかよく分からないが、とにかくちょっと変わった髪質の持ち主だった。
その髪は、彼のアイデンティティを示す強烈な材料で、彼が表を歩いていると、誰もが遠くからでもすぐそれが彼だと気がついた。そして誰かに彼のことを話す場合にも、「ほらアノ、こういう髪をしたヤツ」と言えば、たいていの人間がすぐ思い当たった。
社交的で友達と遊ぶのがとても好きな彼は、その独特の頭髪を隠そうとはしなかったが、子供の頃には散々からかわれたり、散々いじめられたらしい。しかしそういう話も、笑ってするようなヤツだった。
彼とボクとは、同じ大学の学生だとは言っても学部も違っていたし、また所属しているクラブも異なっていた。だからもし、ボクがヒダカ君の下宿で「最近近くのパチンコ屋に入りびたっているんだけど、なかなかうまく勝てんなぁ」などという話をせず、そしてその時ちょうどシンガイ君が彼の部屋にいて
「ああそれなら、うちのクラスにも、パチンコ狂が一人いるから今度紹介しようか」
と言わなかったなら、もしかするとボクらは友人になるどころか、お互いの顔すら知らなかったかも知れない。
そしてもし彼と知り合わなければ、この本の中身は半分くらい無くなってしまうから、もしかするとボクがこういう貧乏と裕福について書くということも、なかったかも知れない。だから「縁」というのは、本当に不思議で妙なものだなあ、とつくづく思う。
さてそのアマノ君であるが、やはり裕福な家庭の育ちだった。実家は千葉の某駅前でアパートや駐車場を経営しており、京都での彼の住まいも、きれいで瀟洒な鉄筋四階建のワンルームマンションであった。
それは今でこそまるで珍しくもない、エアコン・電話・バス・トイレ・キッチン付の八畳くらいの部屋だったが、しかし彼からその部屋の家賃を聞いてボクは驚いた。というのもその部屋の賃料はなんと、当時の金で四万円もしたからである。
今でこそ四万円というと超格安物件で、東京圏では風呂無しの六畳一間くらいの賃料であるが、二十年前(一九八〇年頃)ならその金で、2LDK以上のアパートが十分借りれた。
実際、ボクが中学・高校時代を過ごした大阪の鉄筋五階建二LDKのアパートの家賃も、ほぼ四万円くらいだったから、ボクはビックリし、思わず「どうしてそんなもったいないことをするのか」と彼に尋ねたくらいだった。
「寝て、起きて、テレビと本棚とコタツを置くだけの場所に、なんでそんな大金をはたかなアカンねん」というのが、当時のボクの正直な価値観だったからである。
しかも彼がさらに
「だってうちの母親がここにしろって決めて、お金出してくれるんだもの。確かに学生が家賃にこんなに使うのは、贅沢なことだとは思うけどさあ」
と言ったもんだから、ボクはさらに驚いて、
「ええーっ、母親がこんな高い所に決めてお金出してくれるぅ? えっだって、月に四万やで? 礼・敷合わせたら年に六十万も七十万も払うことになるんやで? そんな高いとこに親がしろって言って、それで家賃から何から全部出してくれるってか?」
と彼に詰め寄るようにして、確かめた。
だがしかし、彼はそんなボクの驚きなどまるで意に解さないようにさらに
「うん、そうだよ。だってボクは他のもっと安いところでもいいって言ったんだけど、うちのお母さんが『京都は寒いし風呂付でないときっと風邪ひくから』って言って、ここに決めたんだ。親がそうしてせっかくお金出すって言ってくれてるのに、それを無理に断るのもやっぱり変な話だろ?」
と答えた。
「うーん…」
ボクは唸った。なぜならそれは、全く信じられない話であったからである。
と言うのも、もしボクが彼の住んでるような瀟洒なワンルームマンションに住んで、ゆっくり大学で勉強したいだなんて、口が裂けても言えなかったからである。そんなことを母親に言おうものなら、母の両目はつり上がり、怒り狂って「そんなムダなことに金を遣うくらいやったら、大学なんか行かんでもエエ!」とボクをののしり、泣きわめいて茶碗や湯飲みをぶつけるに違いなかったからである。
ところが彼の親は何と、うちの母親とはまるで反対に息子にそんなゼイタクを勧め、そしてちゃんと暮らしているか年に何度も様子を見にくるらしい。そして不足しているものをたった一つ発見しただけでも、嬉々としてすぐ送りつけてくれるらしい。
だからボクは驚いた。そしてそれが、どうしても信じられなかった。
「うーん、世の中にはいい親もいるもんやなぁ…」
勉強するための金を稼ぐために、家を出て住み込みで新聞配達しながらようやく大学進学を果たしたボクの目には、彼のその暮らしが何かとんでもなく卑怯でズルいことのように見えた。そしてそんな親の好意を甘んじて受け入れている彼が、どうしようもない甘えん坊で、軟弱者のように見えた。