貧乏人の正体~良家の娘は良家のオトコと結ばれる

たった三十分で彼岸に渡ってしまったヒダカ

たった三十分で彼岸に渡ってしまったヒダカ

たった三十分で彼岸に渡ってしまったヒダカ

 当時のボクは、様々な悩みを山ほど抱え、いつも暗い顔をして歩いていた。だから生意気な宗教青年たちによく捕まって、様々な勧誘を受けることが多かった。

 そういう勧誘には、「健康と幸せのため、お祈りをさせてください」といわれ、三十秒ほどお祈りを受けて名刺を一枚もらうだけという他愛のないモノもあったし、タンニショウとあだ名される仏教研究会のしつこい連中に捕まって、仏教論争をしないと解放されないようなモノもあった。

原価二千円の大理石のツボを百八十万で売りつけまわって問題になっていたとある教会の人も、毎年のようにボクの部屋へやってきては、いろいろな話をして帰っていった。

 ボクは当時「物理青年」で、信仰によって心だけが癒されても物理的にメカニカルな部分が解明されなければ、納得いかない人間だった。だからそういう方面のセンスのない宗教には、あまり関心などなかったのだが、それでも彼らとは結構何度も話をした。もちろんそれは別にボクが話好きなのではなく、話をすれば向こうも満足して帰ってくれるだろうという、ボクなりの一種の対処法なのであったが、しかし彼らにしてみればたとえ入信してくれなくても、とにかく話をちゃんと聞いてくれる人間は貴重で有り難かったらしく、本当に何度も何度もやってきた。

 そうやってボクは彼らと頻繁に宗教関係の話をしていたのだが、隣の部屋で壁越しにそれを聞いていたヒダカ君などはよく「あんなヤツらの話なんか聞く必要なんかない。時間の無駄だ。さっさと追い返せ!」などと怒っていた。

「アイツらだって、何か悩みがあったから宗教活動なんかしとるんやし、ちょっとぐらいエエやんか」とボクが言っても彼は、

「アカンて言ったらアカン!次にアイツらが来たら俺が追い返す。勉強の邪魔だ!」

と言って一歩も退かなかった。

 ボクはなぜ、彼が彼らの事をそんなにキツク言うのかよくわからなかったが、しかしとにかく彼はそういう風にずっと彼らに敵意を持ち、そして対決する姿勢を見せていた。

 ところが、である。ディスコの一件や弟の東大合格問題は、彼の心に大きな風穴を開けていたらしい。

だからある日ボクが夜遅く部屋に戻ってみると、何と彼はボクの留守中に訪れたその教会の勧誘員を平気で部屋にあげ、そして彼らとなぜか談笑していた。

 その光景を目の当たりにしたボクが驚いて

「何やオマエ、宗教なんか嫌いやなかったのか」

と問い質すと、彼は

「いやー、アイツらがまた来たから追い返そうと思ってドアを開けたんやが、たまには話を聞いてみるのもエエかと思って」

などと苦しい弁明した。

 どうやら彼は、勧誘に来た女の子の声に釣られ、ドアを開けたのだった。そしてその娘が意外とかわいいのを確認した上で、慌てて自分もボクと同じ大学の学生である事を明かし、怒鳴って追い返すのをやめにして彼らの話を聞いたと言うのがどうやら事の真相のようだった。

 そうして彼はズルズルと何十分も彼らの勧誘話を聞き、ボクが帰宅する頃には彼はもうはるか彼方の彼岸にいた。ヒダカ君という望外の獲物を得た勧誘員は、本来の標的だったはずのボクには目もくれず、満足そうに帰っていった。後には「待ってますね、ヒダカさん!」と勧誘の女の子に言われ、だらしなく「はい!」と答えるどこかのサルと、一体何が起こったのかわからず、ア然として立ちつくす顔色の悪い青年だけが残った。

「日曜日にカレー食わせてくれるって! どーげんも一緒に行かないか?」

 女とカレー目当てでたった数十分で宗旨替えした男は、ディスコから帰ってきたあの夜のような笑顔でぬけぬけとそう言った。そしてそんな彼の様子を見て、ボクは『なんやこいつは。こいつは単に誰か自分をチヤホヤしてくれる女の子が欲しかっただけの、ただの数学バカだったのか』と内心呆れかえった。

 確かにディスコの一件は、予想以上に彼にかなりの深手を負わせていたらしい。表面上は平静を装っていたけれど、彼の心の中には「寂しさ」というエーテルが充満していたらしい。だがしかし、彼がその解決に、そんな安易な道を選ぶ人間だったとは思わなかった。

 彼がそれまでボクの勧誘にやってきた彼らのことをヒドく言い、そして激しく非難していたのは、結局単に他人がチヤホヤされているのにガマンができないということでしかなかった。そして「自分もかまって欲しい」という意味でしかなかった。

 だから彼はそれ以来、毎週のようにその教会の合宿所へカレーを食いに出掛けるようになった。そして一ヵ月もたたないうちに突如アパートを引き払い、姿を消した。

大家さんの話だと何かの都合で引っ越したと言う話だったが、彼が教会の合宿所へ走ってしまったのは明らかであった。

 その後の彼の消息はボクは知らない。知りたくもない。


たった三十分で彼岸に渡ってしまったヒダカ
Next →→→ 実は、別に彼女がいた»