かわいい女のコが全てだった

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ボクは昔から、ちょっと変わった人間だったらしく、小学生の頃からすでに「変人」と呼ばれていた。

 

給食では変な食べ方をするし、学級会でも変な事を言う。

 

もちろん図工や作文なんかでも変な題材を選び、そして変な作品を作る。

 

だからクラスの中のお調子者たちからは「センセイ」などと呼ばれ、そして多くの弟子たちと伴にくだらない事を言ったり、訳のわからない無意味な遊びを何だかんだとやっていた。

 

だがやはり女のコたちにはまるでウケが悪く「勉強はできるけれど、変な人」と随分陰でウワサされていたらしい。

 

実はそれは今でも全く変わっていないことで、バイト先でも「パチプロ」だとか「ギャンブラー」だとか「変人」とか言われている。

 

大学のクラブなどでは以前、「エロ本の行商で生計を立てているらしい」、…なんてウワサをたてられたことさえある。

 

そんなボクではあったが、しかし好きになる女のコのタイプや恋愛となるとまるで普通の男の子であった。

 

小学生の頃からボクが好きになる女のコというのは、たいていクラスでも一番か二番に人気のある女のコだった。

 

好きになる女性歌手や女性タレントも、当時大人気だった天地真理や麻丘めぐみ、そしてリリーズやキャンディーズなどであった。

 



そしてまたボクの恋愛行動もまるで月並みで、小学生の時にはクラスで人気のあった、スレンダーな女のコにラブレターを書いて渡したりした。

 

高校の時にはちっちゃなお人形のような、鈴を転がしたような声で話すかわいい女のコに、電話で「好きです」と告白したりもした。

 

ボクには女兄弟も親しい女友達もいなかったから、女性と話をするのはとても苦手だったが、それでもかわいい女のコを見るとたいていすぐに好きになったし、また魅力的なアイドルにはすぐ惚れすぐファンになった。

 

そうやってボクは物心がついてからの二十数年間、ただ単に女のコを可愛いとか可愛くないとかいう尺度だけで、ずっと判断していたのである。

 

しかし大学に入っていろんな女のコを見たり、間直で友人たちの様々な恋愛話を聞いたりするようになると、どうも世の中にはそれ以外のタイプのいい女のコがいるみたいだな、と思うようになった。

 

それまではただ漠然とかわいい女のコにしか興味がなかったが、大人になるにつれてしっかりとした朗らかな、「育ちのいい女のコ」も目に入るようになった。

 

もちろん「かわいい」というのと「育ちのいい」というのは、それぞれ全く別個の基準であり別個の見方である。

 

だから世の中には両方を兼ね備えた、かわいくて育ちの良い女のコもいるだろうし、また両方とも持ち合わせない不細工で、根性の悪い女のコというのもいるはずであろう。

 

だがしかし誤解を恐れず思い切って言ってしまうと、世間で言う一般的ないい女のコと言うのは、そういう二種類のどちらかに分けられるように思う。

 

そして世間の男どもはかわいい女のコに対しては、育ちの良し悪しをあまり問わないし、また育ちの良い女のコに対しては健康であればよく、美醜はさほど問題にしないように思う。

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