ネコに小判、ブタに真珠、そして貧乏人にお金

ネコに小判、ブタに真珠、そして貧乏人にお金

ネコに小判、 ブタに真珠、 そして貧乏人にお金

大学に入り京都で実際に、
そういう裕福な人たちと知り合いになって、
初めてボクは裕福な人間の考え方が、
貧乏人の考え方とは根本的に、
異なるものだと知るようになった。

 

彼らの行動やモノの考え方、
そして趣味に対する態度といったものまでが、
自分とはまるで違っていて、
それがどうも貧乏人と裕福な人間を分けているのではないか、
と考え出した。

 

というのも非常に恥ずかしい話だが、
それまでのボクは裕福と貧乏の差は、
単にお金のあるなしによって生じるものだと思っていたのである。

 

そしてまたさらに自分に欠けているのはお金だけであって、
お金さえあれば自分も彼らのように裕福に暮らせ、
自動的に幸せになれるものだと勝手に思い込んでいたのである。

 

もちろんその頃だって少しぐらいのお金では、
たいしたことは何もできないだろうとは思っていた。

 

また世の中にはお金がいくらあったとしても、
どうしようもないような問題だってあるのだとはわかっていた。

 

だがしかしボクに関して言えば、
問題はお金だけだと思っていた。

 

どんな手段でもいいから大金が手に入れば、
後は上手くいくものだと勝手に決め込んでいた。

 

自分にお金をうまく使うだけの能力や、
裕福になるための技量があるかどうかなんて疑いもしなかったし、
そしてまたそれは比較的簡単に手に入れられるたぐいの能力だと思っていた。

 

それは言ってみれば体力さえあれば、
素人でもカラテやボクシングの試合で勝てるとか、
中国拳法の秘技を会得すれば、
タイソンでもヒクソンでも倒せるといったような根拠のない錯覚なのであった。

 

がボクはそう信じそして毎週毎週朝早く駅前で宝くじを買い、
そして現金が当たる懸賞に毎月のように、
応募葉書を書いていたりしたのである。

 

だが貧乏人の「お金さえあれば裕福になれる」、
という考えほどいい加減な考えはない。

 

お金なんかいくら持っていても、
なくなる時はすぐになくなる。

 

そんな例は挙げるまでもない。

 

だがそんな簡単なことがボクにはなかなか分からなかった。

 

と言うのもボクはいつの間にやらとんでもない思考の罠に、
はまっていたからである。

 

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