貧乏人の正体~良家の娘は良家のオトコと結ばれる

裕福な人間には、激しい生活水準回復本能がある

裕福な人間には、激しい生活水準回復本能がある

裕福な人間には、激しい生活水準回復本能がある

 育ちのいい人間がなぜガラクタをつかまないか、そしてガラクタをつかんでもすぐにそれを手放してしまえるかという原因は五蘊盛苦ではないか。ボクはそう考えた。物質的にも肉体的にも精神的にも良い環境で育った彼らは、無意識のうちに識として築き上げたその良い環境を物差しにして世界を測るのだ。

 以前、幼い頃からの友人のヤグチ君に「ギャンブルなんかはせえへんの?」と尋ねたことがあったが、彼はその時即座に「パチンコはタバコの煙とか音とかが凄いだろ、だからしない」と答えた。「ギャンブルをするなら競馬の方がまだ気分がいい」と。ボクの後輩でも「競馬はするけど」という女の子がいたが、育ちのいい人間というのはそういう感覚を大事にしているらしい。

 パチンコで、せっかく玉が出始めても「疲れちゃったからあたし、もうやめるね!」
といって本当にやめてしまう彼女がなぜ「疲れた」とか「飽きた」とか「気分が悪くなった」という感覚的な言葉でその理由を表現したかといえば、それが五蘊盛苦からくる苦しみを表現していたからなのではなかろうか。

 それはきっと履き心地の悪い靴やジーンズでもはいたような、パンツを後ろ前さかさまにはいたような、そんな種類の違和感なのだろう。イタリア製の靴をはきなれてしまうともう他の靴をはく気になれないとか、寝心地のよいベッドやソファを知ってしまうともう今までのでは眠れないとか、そんな感じなのかも知れない。上質なモノに慣れてしまうと、はき心地や寝心地・居心地の悪いモノは受けつけなくなってしまうのだから、まさにこれは五蘊盛苦の一種である。

 彼女にとって、パチンコは好きだからやるが、負けるのは気分が悪い。だから負けが増えると気分が悪くなって、そこにはもういられなくなって止める。そして逆に勝っているときは気分が良い。気分が良い状態を長続きさせるために、勝ちだして幸せな気分になりだしたくらいで止めてその余韻を楽しむ。そんな感じだったのだと思う。

 だが貧乏人はそう言うことができない。育ちが悪いせいか、気分が悪くてもそのままで我慢してしまうし、居心地の悪い場所にいても体調が悪くても、ずっとそのまま続けてしまう。寒い恰好で寒い場所に長居して体調をすぐに悪くするし、疲れて肩や目が痛くなっても延々パソコンに向かっていたり、パチンコやゲームを続けたりするのだ。もちろん寝具にも気を使わないし、湿気にも鈍感。食事だっていい加減。

 以前ボクが半分地下に埋まったようなアパートに住んでいた時、ある友人がボクに「こんな湿気の多い部屋は早く引っ越した方がいい」などと突然言ったことがあったのだが、その時ボクは彼が何を言っているのかまるで理解できなかった。彼は自分の肌で感じた感覚を、そのまま素直に表現したのだろうが、ボクにはそういう感覚は備わっていなかった。

 それも道理で、ボクは子供の頃から寒い部屋で寝ていたし、脚の出るようなせんべい布団で眠っていた。親もちゃんとした布団を用意しなかったし、ちゃんとした服も買い与えなかった。だからそういう暮らしが普通だと思っていたし、苦痛を感じても我慢せざるを得なかった。そういう事が人生の大事で、何をさておいても取り除かなければならないモノだとは、まるで考えなかったのだ。

 しかし育ちの良い人間には、そんな生活は耐えられない。健康であればあるほど苦痛は耐え難いし、なにしろ五蘊盛苦は根源的な苦しみなのである。だから裕福な人間は、そういう状況下に陥ったら何が何でも元の水準近くまで、生活を戻そうとする。

なにせ居心地が悪いのだ。気持ちが悪いのだ。苦しいのだ。痛いのだ。だから必死になってそこから脱出し、自分を育んだ水準まではいあがろうとする。ボクにとっては快適な、少なくとも普通な環境から、彼らは必死になって脱出しようとする。

 だから、裕福な人間というのはビックリするほど頑張る。貧乏人が驚くぐらい働く。そして休むことが必要な時には、しっかり休養をとるのである。



裕福な人間には、激しい生活水準回復本能がある
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