お金持ちはなぜ、子供の教育に金をかけるのか

ボクが二十代のころ、大学の工学部にいて散々苦労していた頃には、「大学というところは自分で学費を稼いで行くモノだ。
学費を全部親任せにして勉強するなんて、間違っている!」などという妙な考えを持っていた。

 

今思えばそれは単なる貧乏人のヒガミで、そう思って自分を他の連中より高い位置に置き、武士は食わねど高楊枝…とばかりに、頑張るしかなかっただけの話であるが、しかし改めて考えてみると、世の親たちはなぜ子供の教育に、平気で大金を出せるのだろう。

 

「親だから子供の教育にお金を出すのは当たり前」、と言う考えもあるだろう。

 

だが少なくともボクの母はそういうわけではなかった。

 

ウチの母はボクが高校を出て住み込みで新聞配達を始めた頃も、大学の志望を無理矢理変えさせた頃も、「勉強に必要なお金くらい出すがな」と偉そうに言ったが、結局百分の一にも満たないはした金しか出さなかった。

 

食費をケチって貯めた何百万円もの金の十分の一も出さなかったし、別居していた父親からボクら子供へと送ってきた月々五万円の仕送りも、しっかり懐に入れてボクらには決して渡さなかった。

 

対照的に大学で出会ったボクの友人の親たちは、お金の余裕が多少あるのだとしても、自分の子供に対して当然のように仕送りをし、そして勉学やその他の援助を平気でしていた。

 

少なくとも我慢すれば仕送りだけで勉強できる程度の金を、毎月毎月頑張って仕送りしていた。

 

だから「彼らの親は子供の教育に、なぜそんなに平気でお金を出せるのだろう?」。

 

それがボクには不思議で不思議でしようがなかった。

 

お金があるからという答えはもちろん説得力がない。

 

というのもさっきも書いたとおり、ウチの母親はお金を持っていたからである。

 

母はボクが大学へ入る時すでに、ボクと弟名義で当時のお金で
二百五十万円ずつ投資信託で運用していたのだが、その金は結局ボクらの学問のためには一円も使われなかった。

 

それどころかボクが望まずに入った学科で、悪戦苦闘し留年を重ねている最中に全部、某新興宗教の原価二千円の大理石のツボを、二個買う金に遣われたからである。

 


裕福な親は恵まれているからというのも、何かもう一つピンと来ない。

 

今現在豊かな人間でも、若い頃に恵まれていたとは限らない。

 

貧しい中から這い上がってきたり、大きな不運に会いながらそれを克服して、現在の地位を築いた人も多い。

 

京大に子供を通わせる親たちというのは、決してそんな大金持ちではない。

 

確かに世間一般よりは裕福であるが、職業としては単なる米屋だったり、農家だったり小さな工務店をやっていたりという程度である。

 

単なるサラリーマンであることだって多い。

 

そんな彼らがなぜ子供に高等教育を受けさせたり、車の免許をとらせたりと、教育に平気で大金を投じるのか?。

 

自分たちはそういう高等教育なしに成功してきたというのに。

 

京大ともなれば普通は四年では済まないのである。

 

工学部なら留年分も含め、六年や七年通うのが普通で、博士課程まで進めばゆうに十年はかかる。

 

そんなとんでもなく長期間にわたる負担を、経済に長けた彼らの親たちがなぜ平気で担えるのか。

 

それがボクには不思議であり、そして納得できない事なのであった。

 

子供にそれだけの大金を投じ、子供の将来を案じなければならないのは、貧乏人のウチの母親の方であって、彼らの親たちではないはずであるのに。

 

邱永漢の奥さんはボヤく。

 

「大金を注ぎ込んで丹精込めて育てた息子を、たかだか十万や二十万のお金で、他人にコキ使われるなんて割に合わないわっ!」。

 

でも彼らは自分の子供達に大金を注ぎ込む。

 

見返りなんか全く期待できなくても。

 

邱永漢のようなお金儲けの神様が、金銭感覚に優れているはずの彼らがなぜ、そんなワリに合わないことをするのか?
一体なぜ彼らはそんなことをするのだろうか?

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