ゼイタクをしないから、貧乏人は貧乏
そういうわけで結局、何が必需品で何がムダなのかは、ハッキリ決めることができない。
それは時代時代の状況や、文化・文明の進展度合いによっても大きくその内容を変えてしまうわけであるから、当然といえば当然のことである。
だから「これとこれとこれが必需品で、これとこれは不必要」などと勝手に決めて固定してしまうことはできない。ムダやゼイタクだと思っていたものが、次の時代にはもう必需品となってしまっていたり、或いはそれがあることを前提に社会が成り立っているなんてことだってよくあるからである。
前述したように穀物や衣服がそうであるし、テレビやラジオ、車、パソコン、インターネットや電話、飛行機などといったものもそうである。もちろん民主主義や社会福祉といったシステムもそうであろうし、大学や専門学校といったような研究教育機関もそうであろう。
だから貧乏人が安易にムダやゼイタクを省こうなんていう努力をすると、かえって時代から取り残される。
昔の農家のように「子供を大学になんか、何でやらにゃイカン?」などと言っているうちに、いつの間にやら学歴が必需品となり、学歴を持たない田舎モノは、社会の片隅に追いやられて周囲から大きな遅れをとっているだなんて羽目になる。
そうしてそんなことをしているうちに、貧乏人と裕福な人間との距離はさらに開き、そしてその差はついには追いつけないレベルにまで達してしまいかねない。
だからこそ、ボクは貧乏人は大学へ行きそして裕福な暮らしをしてみるべきだと考えている。ムダを省こうだなんて考えて、出費を抑えたり食事を削ったりしてはいけないのだと思う。
そうしてそういう修行を積むうちに、金銭感覚や経済観念といったものを学びとり、そして本当のムダが見えるようなセンスを身に付けることの方が大事なのではなかろうか。
結局同じ収入のままでよりよい暮らしをするには、例の主婦の方法しかない。普段買っている品物を、とにかく安く手に入れるという方法しかない。
だがそれでも全てのモノを通常より二割安く手に入れることができれば、理論上は二十五パーセントも多くモノが買える理屈になるのである。
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