豊かさとは、ムダをすることかもしれない

つい何十年か前には科学が発達すると、人々の食事は流動食のようなものとか、ビタミン剤のようなものに、とって代わられるのではないかという考えがあった。

 

これを一粒飲めば一日に必要な栄養素と、エネルギーが全部摂取できるとか、これを一袋飲めば何日も飲まず食わずですごしても、大丈夫だなどというスーパーフードが登場し、そして毎日それを食べたり飲んだりするのだろうと考えられていた。

 

子供の頃テレビで見たSF映画にも、そんな錠剤中心の食事のシーンがあって、子供の大嫌いなニンジンでもたまに現物があると、殴り合って奪い合うのが妙におかしかったのを覚えている。

 

このような食事の典型はアポロ計画などの宇宙食で、最初はチューブに詰めたクリーム状の流動食を、一日二キロ近くもストローでチュウチュウ吸っていたらしい。

 

その後食品をフリーズドライしてポリエチレンのパックに詰め、食べるときにはウォーターガンを使ってパックにお湯を注ぎ込んでもどし、チュウチュウ吸うようになった。

 

シチューやオートミールなどの流動物までフリーズドライするというのは、打ち上げる宇宙船の重量を少しでも減らすためで、チュウチュウ吸って食べるというのは、無重力の宇宙船内で水分が飛び散って、計器などの故障が起こらないようにするためだそうだが、栄養のみを考えた本当に味も素っ気もない食事である。

 

もちろん現在の我々の食事が、こういったモノ中心になっているわけではない。

 

二十四世紀を舞台にしたスタートレックでも、もはやこういう食事のシーンは登場しない。

 


だがその一方でこういう想像が、全く的外れの妄想であったとも言えない。

 

というのもボクらはもうそれに近いものを、平気で毎日のように食べたり飲んだりしているからである。

 

カレーやシチューのレトルトパックや、カロリーメイトやウィダーインゼリーなどといった食品がそれで、だいたいレトルトパックという物自体、宇宙食を作るために開発された技術だそうである。

 

それをアルミパックに改良して、大塚食品がボンカレーという商品に応用し広めた。

 

つまり主流にはならなかったとはいえ、現代人は生活の中にこのようなスタイルの食事をしっかり取り込んでいて、我々は図らずも宇宙食や未来食をもう食べてしまっているワケである。

 

だがしかしこのようなモノを食べている人間は、何も好きでこのような形式の食事をとっているわけではない。

 

確かに子供たちは嬉々としてボンカレーやククレカレーなどを温めて食うが、それはカレーが手軽に食えそしてすぐに腹の足しになるからで、決して食事が全部ボンカレーのようなレトルトパックになって、チュウチュウ吸うようになることを望んでいるわけではない。

 

また女性がカロリーメイトなどという栄養補助食品をよく使うのは、ただやせるためにカロリー計算するのが楽で、そして栄養管理もとりあえずは大丈夫だというそれだけの理由である。

 

つまりこのようなモノは栄養学的な要件を全て満たしていたとしても、我々の意識上では食事ではない。

 

日頃の生活に必ず必要だというような必需品などでは決してなく、あくまでも「例外的なモノ」でありそして一種の「エサ」なのである。

 

そうして逆に我々が食事として食べているものが何かと言えば、それは実は肉や野菜をグツグツ煮込んで、ビタミンなどを徹底的に破壊しまくったものであったり、また油で揚げたり炒めたりして明らかに塩分やカロリーの高い、ジャンク・フードのようなモノであったりする。

 

そんなものばかり食べていれば誰だって肥満になり、そして近い将来様々な成人病で苦しむと知っていながらも、人々はなぜかそういう偏ったモノを食い、そしてひどい時にはそういう食事ができないと貧しいと感じ、ミジメにさえ思う。

 

どうやら人間にとって「ムダ」というのは、「豊かさ」と別物ではないらしい。

 

ムダをすることイコール豊かという訳ではないが、豊かさを感じるためには、大抵ムダをしなければならないものらしい。

 

それが恐らく人間としての欲望であり、そして「豊かさ」というものなのであろう。

 

ところがムダをすることが豊かさだと言うことになると、貧乏人には少々困ったことになる。

 

というのも貧乏人は生活を豊かにするために、ムダを省こうとするが、そうやってムダを省こうとすると、どうしてもそれは今まであった豊かさまで、削ってしまうことになるからである。

 

食事の質を落としたり、生活物資の量を減らしたり、遊びに行くことや衝動買いすることなどを控え、新しくて良いとわかっているモノが世の中に出回っても、それを手に入れるのを後回しにする。

 

病気になってもなかなか医者に行かず、治るまで我慢する。

 

そう言う風に貧乏人は懸命にムダを省いているというのに、そうすると以前より一層貧しい生活を、余儀無くされてしまうのである。

 

ムダを省けばよい暮らしができると考えるからこそ、そんなつまらない事をしているというのに、それをするとさらに豊かな暮らしから遠ざかるのである。

 

そんな生活を送って得られる豊かさとは、一体どんなものだと言うのだろう?

 

そうして貧乏人はいつしかそんな生活に疲れ、やっぱり元の怠惰な生活に戻ってしまうわけである。

 

果たして本当にムダと豊かさとは、切り離せないモノなのだろうか?

 

そして豊かさを維持しながら、ムダを省くということは不可能なのであろうか?

 

ムダっていったい何だ?それがわからねば、貧乏人は恐らくこのジレンマから逃れることはできないだろう。

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