財神の奥さんも、家計簿なんてつけていなかった
財神の奥さんも、家計簿なんてつけていなかった
この主婦を買物の達人にしたのは、たった一冊のノートであった。彼女はそのノートにいつも買う商品の値段をつけ、そしてその最安値と売りだし日を時系列的にしっかり記録していた。
そうしてそれより値段が安ければためらわずにそれを買い、それよりも値段が高ければ絶対に買わない。そういう方法で恐らく他人の三割以上もモノを安く買い、そして思いのままに自らの生活を豊かにしていた。
だがしかし、考えてみれば、たったそれだけなのである。ノートと鉛筆とちょっとした根気さえあれば、誰にでもできそうな事なのである。一円でも安ければ、十里の道をも遠しとせず駆けつけるのが主婦の習性なら、そういう買物の仕方は常識も常識で常識以前であってもおかしくはない。
だが、どうも実態はそうでもないらしい。毎日熱心に家計簿をつけている奥様方でも、この主婦のようには安くモノを買っていないらしい。だからこそこの主婦をケチだと言っているわけだし、だからこそテレビでわざわざ紹介しているわけである。
「ふーんでも、それってそんなに感動するほどのことなん? あたしには単なる節約上手にしか見えないけど」
彼女はボクの話を聞きながらそう言った。そしてそんなことぐらいなら、アタシにだってすぐにでもできるわとでも言いたげに、ボクを見た。
「だってちゃんと家計簿をつけていれば、いいわけでしょ?」「ははは…」
もちろんメモを取ったりノートを作ったりということは、最低限必要なことだろう。現実を数字や絵図やパターンに変えて、誰にでもわかるような形に記録するという作業は、何かを分析したり理解するために、絶対必要でまた説得力のあるものである。
だがしかし、それは必要条件であって十分条件ではない。メモを取ったりノートを作ったりするということ自体は、お金を節約するために必要な作業であるが、それをしたからと言って、誰にでもこの主婦のようにうまい買物ができるようになれるわけでもない。
世間では、家計簿をつけてさえいれば、自然に倹約できるというような錯覚があるようであるが、しかし実際家計簿などつけずとも成功している奥様方はたくさんいるようなのである。財神(お金儲けの神様)こと邱永漢さんの奥さんも、かつては邱センセイから「家計簿でもつけてみなさい。そうすればムダな出費を抑えることができるから」
と言われ、そういう挑戦をしてみたことがあったと邱センセイの著書に書いてある。だが奥さんは、結局止めてしまったとある。
初めこそ奥さんは熱心に家計簿をつけていたが、収入より支出の方が明らかに多いのだと気付くとすぐそれをやめ、そしてそのかわりにお札に直接鉛筆で「電気代」だとか「ガス代」などと中国語で書き入れ出したという。
「だってそうでもしないと、全部遣ってしまいそうになるんだもの」
奥さんはその時邱センセイにそう言い、そして家計簿をつけるのを諦めた。そんな邱家が後に日本と台湾と香港と中国に多くの地所を持ち、そして「財神」とよばれるようなお金持ちになったわけなのだから、家計簿をちゃんとつけるという事と、お金持ちになるという事とは、どうもそれほど関係がないようなのである。
恐らく家庭の主婦が家計簿をきちんとつけているのは、単に皆がそうしているから、或いはそれが主婦の仕事だという幻想が、世の中にあるからなのだと思う。もしくは家計簿のマス目をきちんと埋めていれば、写経のように脳内にアルファー波でも出て、何かちゃんとした主婦でもやっているかのような気分に浸れるだけなのだと思う。
学生時代の級友に、几帳面にノートを作って一生懸命勉強しているように見えて実は何も全く理解していない連中がたくさんいたが、毎日きちんと家計簿をつけそしてきちんとノートを作っていても、それだけではまるでそういう能力は身につかない。
普段チャランポランで斜に構えているような学生が、なぜかいい大学に進学するように、かえって家計簿などつけずにメモだけで済ませているような人の方が、節約がうまく、そして裕福だったりする。家計簿をつけず、お札に直接ガス代などと書き込むような人の方が、お金持ちになったりするのだ。