貧乏人は、実は金のことしか考えていない

うちの母には上場会社の社長をしている兄がいて、ボクらが小さいウチは家族揃って、よくそのおじさんの家へ泊まりに行ったものだった。

 

その家には広い玄関があり、広い庭がありそして大きなコリーがいた。

 

応接間には大きなグランドピアノがあり、従兄弟の女の子がそれを弾いた。

 

おじさんは毎朝運転手付の車に乗り、そしてそれで会社まで通勤した。

 

家自体は大阪の田舎の方にあったし、しかもそれは実は奥さんの実家を譲り受けたものだったから、広いと言ってもさほどでもなかったのかも知れない。

 

だがしかしおじさんの家庭が裕福であるのは間違いなかった。

 

ところがボクら家族がそんなおじさんの家へ泊まりがけで遊びに行った時、奥さんが出してくれる御馳走が何かと言えば、それは何と巻き寿司やバラ寿司(ちらし寿司)ばかりであった。

 

もちろん金箔が入っているわけでもない。
もちろんキャビアが入っているわけでもない。

 

正真正銘ただの巻き寿司とただのバラ寿司であった。

 

それは食べ盛りの子供が何人もいることを考えての苦心の献立であったが、しかしおじさんのような金持ちの家にしてはやはり少し寂しい、ありきたりのメニューであった。

 

だからある時機嫌が悪かったのかうちの母はそれを
「あんなしょうもないモノ出しやがって。
いつもはステーキでも食べてるくせに!」などと帰り道で忌み言を言った。

 

後で聞くところによると、母が都合の良い商売上の融資話を、おじさんにもちかけたところ、奥さんにこっぴどく断られたらしい。

 

それはここでは関係ない話であるが、しかし巻き寿司とステーキに料理としてそれほどの上下があるわけではない。

 

考えてみればそういう巻き寿司とかバラ寿司などというのは、一昔前には祭りや冠婚葬祭で出される料理であり、確かにこれは御馳走であったのだ。

 

巻き寿司やバラ寿司は高野豆腐あり卵あり、かんぴょうあり青菜あり、そしてゴマ・海苔・グリンピース・紅ショウガ・米酢・デンブなど、栄養や滋養に富んだ多彩な食材を使って作られた栄養価の高い献立なのである。

 

様々な屋台が軒を連ねてにぎわう台湾の繁華街にも、日本統治時代からずっと巻き寿司を売っている屋台が出ているとか言う。

 

それは寿司の中に長年日本人が培ってきた豊かさがギッシリ詰まっているのを、現地の人が認めているからだろう。

 


おじさんの家ではボクらが来ると、そうやって山盛りの寿司を作って出してくれ、そしてボクら兄弟は喜んでそれを好きなだけ食べて遊んだものだった。

 

そして残った分は皿に盛って布巾を掛け、「おなかが減ったらいつでも食べや」と言ってくれた。

 

だからボクらは夜中にそれを食べて、ぐっすりと眠ったものだった。

 

そこには育ち盛りの子供にとって大事な何かがちゃんとあったのだが、残念ながらうちの母親にはそういう大事な事がまるでわからなかった。

 

ウチの母親には成長期の子供がどれだけ物を食べ、そしてそのために親が何を用意しておかなければならないかなんて、まるでわからなかった。

 

また子供がちょっと腹をすかせた時に、いつでも食べられるように巻き寿司だとか、ゆで卵だとか唐揚げだとかを、余分に作っていつも用意しておくなどという、ちゃんとした母親ならごく当たり前にするような良識すらも、まるで持ちあわせていなかった。

 

それどころかウチの母はインスタントラーメンのようなものですら、ボクら子供が勝手に食べると、「計算が狂う!」「勝手に食べるな!」などと言ってひどく怒ったのである。

 

悲しいかなウチの母親はほとんど栄養のないそんなものすら、育ち盛りの子供の一食の食事として数えていたらしい。

 

確かに朝食をトースト類で済ませれば母親の手間はいらないし、毎日ハムエッグも用意しなければお金も浮く。

 

インスタントラーメンを一食と数え、そして新しい大きな布団を買おうと言っても、子供が遠慮して「いい」と言えば、無駄な出費もなしで済ませられる。

 

しかしそれでいいのか、と考えれば普通の人間なら誰でも良くないと思うし、裕福な家庭を築く人間なら絶対ダメだと言うだろう。

 

なぜ彼らがそう言うかと言えば、そういう事がないがしろにしてはいけない生活の基本であると、はっきりと認識しているからであろう。

 

しかしうちの母はそういう事をないがしろにした。

 

布団を買うと言っても、せいぜい市販の小さな薄っぺらい布団しか買わなかったし、卵を食うようになどとは口が裂けても決して言わなかった。

 

それぐらいはたいした家計の負担にもならないはずなのだが、たったそれだけの努力すらうちの母親はせずにすませた。

 

おまけにうちの母親がそういう手抜きを平気でするのは、母親自身がそういう生活をして育ってきたからでは決してなかった。

 

母方の実家もそういうことをちゃんとやっていたし、そして父方の実家でも、実はそういう事をちゃんとやっていたのである。

 

母親と折り合いの悪かった父方の祖母のところに行くと、朝でも平気で高野豆腐に卵をいれたものを朝食として出してくれたし、寝る時だって綿のたっぷり入った、重い大きな布団をいつも何枚も掛けてくれた。

 

母方の親戚の家でも朝食はしっかりしたモノだったし、そしてさっきも書いた通り、そこにはちゃんとした「おやつ」すら用意してあった。

 

つまりインスタントラーメンを一食の食事として、子供に食わせるだなんて馬鹿げた生活は、どこにもなかったのである。

 

もちろんそれはボクの子供時代の記憶だったから、もしかすると思い違いで、布団だって、大きく感じられただけだったのかも知れないと思っていた。

 

だが祖母が死ぬ何年か前に、祖母の家を訪ねて泊まった時も、やはりおばあさんはそういう朝食を作って出し、そしてそういう大きな布団を二枚用意してボクに掛けてくれた。

 

だからウチの母以外はやっぱりみんな、ちゃんとした生活というモノを知っていたのだ。

 

一体うちの母親は何十年もの間、親や義理の親から何を学んでいたのだろう?

 

そうして母は裏で八百万もの金を貯め、投資信託に預けていた。

 

拝金主義者とは実は貧乏人のことだったのだ。

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