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    <title>貧乏人の正体～良家の娘は良家のオトコと結ばれる</title>
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    <updated>2006-09-01T17:51:06Z</updated>
    <subtitle>貧乏って一体なんだろう？　大学で出会った裕福な友人達の振る舞いを見て、貧乏・裕福について考えたサイトです！</subtitle>
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    <title>石橋を叩いて渡る堅実さ</title>
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    <published>2006-07-26T11:25:10Z</published>
    <updated>2006-09-01T17:55:53Z</updated>
    
    <summary>「それじゃあ、一体どうして貧乏人はガラクタばかり買ってしまうのだろう？」 　ボクはしばらくそれを考えていた。そしてある仮説を立ててみた。貧乏人は、モノの値打ちがよくわからないらしい。貧乏人にはそういうセンスがないのだ。そういう才能がないのだ、と。...</summary>
    <author>
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            <category term="第７章、貧乏人とカラスは、ガラクタばかり集めたがる" />
    
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        「それじゃあ、一体どうして貧乏人はガラクタばかり買ってしまうのだろう？」
　ボクはしばらくそれを考えていた。そしてある仮説を立ててみた。貧乏人は、モノの値打ちがよくわからないらしい。貧乏人にはそういうセンスがないのだ。そういう才能がないのだ、と。
        

「じゃあどうして、貧乏人にはそういうセンスがないのだろう？」　そう考えた時に真先に思い浮かんだのは、ヤグチ君のお母さんのことであった。

　前述したが、ヤグチ君のお母さんはとても堅実な人だった。石橋を叩いて叩いて渡り、そして次の機会には別のもっといい石橋をみつけ、叩いてみるような人だった。

　彼女は昔ボクらが子供であった頃、学校であったことや友達のこと、そしてヤグチ君自身に直接尋ねるだけでいいようなことでさえ、必ずボクやボクの弟から話を聞こうとした。ボクらの話す内容がヤグチ君たちと同じでも、それでもいろいろ聞こうとした。

　そんな彼女の行為をウチの母親は
「あの人は口がうまいから、ウチのこと聞かれても何も言うんやないで！」
などと言ってひどく警戒していたが、しかしそうやって何かをしっかり知ろうとする彼女の態度は、今考えても正しくマトモな人間の正しい態度であったように思う。

　ボクは何かを勉強する時には必ず違う著者の本何冊か読み、そしてそれを同時に見比べながら自分なりのノートや教科書を作っていくという作業をよくするのだが、ヤグチ君のお母さんも昔から何かそれに似たやり方で、自分の興味のあることや知らねばならないことをよく知ろうとしていたようであった。

　彼女はボクが大学を辞めようと考え、そういう話を電話でヤグチ君のお母さんと話している時にも、最初こそウチの母親の立場に立って怒っていたけれど、それでもボクがどんな状態なのか、どういう風に考えているのか積極的に知ろうとしてくれていたし、ボクが母親の事や経済状態について話すと、理解を示してくれた。

　本当かどうかは良くわからないが、Ｏ型の性格の一つと言えば、ああそうかと理解してもらえる方もいるかも知れない。ボクはモノを他人に習うのがとても苦手だが、Ｏ型の人は（特に妹や弟タイプの人は）本などを読むより、人間から直接情報をもらおうとするのが好きらしい。

　用心深いし、見様によってはケチだと感じることもあるが、食事や着る物など、生活を支える重要な部分についてはちゃんと気を使う。自分一人では大したことができないと自覚しているのか、それとも他人と一緒に楽しいことをするのが大好きなのかは分からないが、友人や知り合いとのつきあいには熱心で、失敗談やら冗談やら、時にはちょっと危ない話でも話したり聞いたりするのが好き。そうしてそういう事などをするためには、なけなしの金でも平気ではたく。そんな感じの人間を想像すると、何となくよくわかる。

　もちろん世の中のＯ型の人間が全てそういう性格だと言うわけではなく、Ｏ型の中の良くできた一つのタイプとしてそういう人間がいるということであって、またＯ型でなくてもそんな感じのする人間もいる。

　ヤグチ君によると、彼のお母さんは決して良い環境で育ったわけではないという。だが「少ない収入でいかに最良の暮らしをするか」ということは、しっかり祖母から学んだらしい。学んだことを忠実に実行できるのも、ちゃんとした人間の優れたところである。だからこそ、彼女の家にはガラクタが少なかったのだろう、と思う。

　だがしかし、それではヤグチ君のお母さんのように情報を集め、知り合いに話を聞きまくってジックリ物を見定めて買い物をすれば、誰でも必ずいい買い物ができるかと言えば、答えはおそらくノーであろう。というのも誰だって大きな買い物をしたり進路を決めたり、あるいは結婚でもしようとする時にはしっかり情報を集め、そして慎重にモノを選んでいるはずだからである。

　しかしボクがガラクタを買わないようにしようと考えながら、結局ガラクタを買ってしまうように、貧乏人というのはそうやって慎重に・よく見て・熟慮して・選んで手に入れたはずでも、どういうわけか、ガラクタばかりつかんでしまうのである。

「掘り出しモノだ」と言われて買った家具や土地がどうしようもないシロモノであったり、「花形企業だ」といわれて就職したら、十年もたたないうちに斜陽会社。「いい人だ」と言われて結婚しても夫は酒好きでバクチ好きで家には一銭もお金を入れなかったり、妻は妻で宗教狂いだったり浪費家だったり。そういう不幸な出来事が、世の中では毎日毎晩のように繰り返されている。だから情報を集め対象をじっくり吟味したぐらいで、貧乏人がガラクタ
やハズレをつかまなくなるなんて事は、とうてい考えられないのである。

　もしかしたら貧乏人はそういうセンスに欠けていると言うより、ガラクタやハズレが好きなのかも知れない。ガラクタやハズレが好きだから、ガラクタやハズレばかりひくのかも知れない。そう考えたとき、ボクはアダルトビデオを借りるときによくやる失敗のことを思い出した。




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    <title>情けなすぎるＡＶの法則</title>
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    <published>2006-07-28T11:25:46Z</published>
    <updated>2006-09-01T17:57:13Z</updated>
    
    <summary>　ボクはもう十分イイ歳のオッサンだから、悲しいオトコの性でビデオショップに行ってももっぱらアダルトビデオばかり借りているのだが、ある時、自分があまりにも情けない行動を繰り返していることに気がついた。それは何かというと一度観た同じビデオを、なぜかまた借りてきてしまうのである。...</summary>
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            <category term="第７章、貧乏人とカラスは、ガラクタばかり集めたがる" />
    
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        　ボクはもう十分イイ歳のオッサンだから、悲しいオトコの性でビデオショップに行ってももっぱらアダルトビデオばかり借りているのだが、ある時、自分があまりにも情けない行動を繰り返していることに気がついた。それは何かというと一度観た同じビデオを、なぜかまた借りてきてしまうのである。
        

　同じビデオを観ようと思って、そのビデオを選んだわけではない。レンタルショップで「今週はこのヒトにしよう」なんてソフトを借りてきて、晩メシもそこそこにワクワクしながら観てみると、どこかで見たような映像が画面に写り「うわっ何やこれーっ、これ前に借りてきて観たやつやぁっ」となるのである。

　男性なら、よくわかると思う話だけれど、一度じっくり観たアダルトビデオというものほどツマラナイものはない。もちろん何度も繰り返し観たいという作品もあるにはあるが、しかしこういうビデオでやっていることと言えば結局ただのセックスなのである。ドンデン返しもハッピイエンドも問題作も、結局みなセックスするだけなのである。

　だから一度見たビデオは、新鮮みがほとんどない。一生懸命見ていれば見ているほど脳裏に焼き付くから、以前見たビデオはもう先が読めてしまって飽きてしまうのである。そしてまたそうであるからこそ、ＡＶ制作会社は女優にセーラー服を着せたり白衣を着せたり、どんどん新しい女優を発掘したり街角でナンパしたような素人でビデオを撮ったりすることによって、かろうじて変化をつけ、顧客が離れないように新しいビデオをどんどん世に送りだ
しているのである。

　だから借り手は、極力別のモノを、新しいモノを借りようと思って慎重に選ぶ。そして高々数百円の出費であっても、一度観たビデオを望まずに借りてきてしまうとやはり「うわっしまった、損した！」などと思ってしまい、ロクにそれを観ないで早々に返却してしまうことも多い。

　アダルトビデオを見ながら一人でナニをしているのも虚しいことではあるが、アダルトビデオを見てもナニできないのはもっと虚しい。だから一度そういうことを経験してからボクは、なるべくそういうことのないように慎重にソフトを選ぶようになった。

　しかし、しかしである。どういうわけだか何でだか、慎重に選べば選ぶほど、そして一生懸命になればなるほどまたボクは一度観たテープをまた借りてきてしまうのであった！　うーん情けない。情けなすぎる。だからボクはこの現象を「情けなすぎるアダルトビデオの法則」と呼んでいる。心理学でどう呼んでいるのかは知らないけれど。

　しかしそれにしてもなぜこんな事が起こるのだろう？　一口にアダルトビデオと言ったって、何百何千ものソフトがある。しかも毎週のように新作が作られているし、毎月のように新作が店に並ぶ。だから無作為にテープを借りたとしても、同じソフトをまた借りてしまうという確率は実は非常に小さいはずなのである。

　仮にある店にアダルトビデオが千本あった場合で考えてみよう。そうすると、次に同じビデオをまた借りてしまう確率は千分の一しかない。これは新しいビデオが入らないという前提で、毎週二本ずつ一年間ビデオを借りたとしても、年に一回そういう事が起こるかどうかという程度の確率なのである。しかしボクはもう、少なくとも五回以上はそういう目に会っている。だから、これはやはり有意、つまり統計学的にも意味のある現象だろう。

　ではなぜそういうことが起こるのか？　それはまず根本的に、ボクが以前そのソフトを借りて観たという事実に気がつかないからであろう。

　ボクはアダルトビデオの他に、ジャッキーチェンやリーリンチェイ（ジェット・リー）などの功夫映画やスタートレック、そしてＳＦ系アニメーションなどをよく借りて観るのだが、こういうソフトを借りる場合には、全くと言ってそんな事は起こらない。こういうモノに関してはタイトルと内容とをしっかり記憶しているし、以前に見た記憶があれば、それを無意識にまた借りてしまうという事はまずない。

　しかしアダルトビデオというモノは、タイトル自体からして似通ったモノが多い。同じタイトルで、女優だけ違うというような場合も多い。だから自分がどのビデオを見て、どのビデオをまだ見ていないか、思い出すのが難しい。その上また、アダルトビデオの場合はパッケージと中身が合ってない事も多く、「女子校生○○」とタイトルが打ってあっても、中にはそれらしき女性すら出ていなかったり、またパッケージにはちゃんと可愛い女の子の悩ましい姿が印刷されていても、写真の彼女と動画の彼女はまるで違ったように見えるから、厄介だ。

　ジャッキーチェンの「酔拳」ならちゃんとジャッキーが出演して、ちゃんと酔拳をやっているからまず間違えることはないが、そういうわけでアダルトビデオの場合はすぐまた同じビデオを借りてきてしまう。ひどい時には三度も四度も借りて来てしまう。本当に、情けない話…




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    <title>貧乏人はガラクタしか知らない</title>
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    <published>2006-07-28T11:26:35Z</published>
    <updated>2006-09-01T17:57:54Z</updated>
    
    <summary>　ボクが何度も同じビデオを意図せず借りてきてしまう一つの原因は、似たようなビデオがたくさんあってどれを見たのかどれをまだ見ていないのかが区別できないからである。しかし、自分の趣味が、実は非常に限られた狭い範囲に偏っているということも大きな要因だろう。...</summary>
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        　ボクが何度も同じビデオを意図せず借りてきてしまう一つの原因は、似たようなビデオがたくさんあってどれを見たのかどれをまだ見ていないのかが区別できないからである。しかし、自分の趣味が、実は非常に限られた狭い範囲に偏っているということも大きな要因だろう。
        　さっきも書いたように、ボクはアダルトビデオ以外ではジャッキーチェンなどのメジャーな功夫アクションだとか、スタートレックなどのＳＦシリーズ、そしてヤマトだとかマクロスだとかいうアニメーションぐらいにしか興味がない。アダルトビデオに関しても、「女子校生モノ」だとか「お姉さんモノ」ぐらいにしか興味がない。

　だからたとえレンタルビデオ屋さんに何万本のソフトがあったとしても、ボクが借りる対象のビデオは、実はせいぜい百本もあるかないかないのである。そしてその百本もない自分好みのソフトから、百回ビデオを借りるのであれば、同じビデオを誤って何度も借りてしまうという現象は、何度でも起こりうる。

　女子校生とかお姉さんというキーワードでソフトを捜せば、タイトル数はせいぜい数十本だし、その中から自分好みの女性を厳選すれば、さらにその数は減る。だから熱心に捜せば捜すほど、昔借りて見たソフトに突き当たってしまうのだろう。だから趣味を変えるか店を変えない限り、同じ事は何度も起こる。がしかし、ボクはそういうモノが好きなのだから仕方ない。

　そしてこれは恐らく、貧乏人がガラクタばかりつかんでしまうという現象と同じだろう。

つまり貧乏人がガラクタばかりつかんでしまう原因は、以前にガラクタをつかんだ事を覚えていないからであり、そしてまたガラクタが好きなせいだと思うのだ。

　高級な、しっかりしたモノというのはやはりそれなりに、結構な値段がついている。しかしそれはそれなりに重宝するし寿命も長い。一方、貧乏人というのは、それより二ランクも三ランクも低いモノを買っている。そんな値段ではなかなか良い品物はできない事が多いから、どんなに良さそうに見えても結局全部、ガラクタである。ガラクタばかりの箱に手を入れてクジを引けば、ガラクタしか引けないのは当たり前の話である。

　裕福な人間は一度ガラクタをつかんで損をしたと思ったら、二度とそんなところでは物は買わないが、貧乏人は忘れっぽいしガラクタに慣れている。ガラクタをつかんだ事などすぐ忘れてしまうし、それがガラクタである事すら分かっていない事も多い。

　だからボクが「今日は絶対、かわいい女の子の悩ましいヤツを観るぞーっ！」などと意気込んで、慎重に慎重にビデオを選べば選ぶほど、何ヵ月か前にもうすでに充分に楽しんでしまったハズレのテープを捜し出してしまうように、貧乏人も一生懸命に選べば選ぶほど、また以前と同じようなガラクタをつかんでしまうのである。今度こそはガラクタをつかむまいとして、懸命になって苦労してアタリを捜しているというのに、そうやって懸命になればな
るほどまた同じハズレを引いてしまう。

　ガラクタばかりの箱をひっくり返して一生懸命に捜してみても、ガラクタしかないのだからそれは当たり前である。「貧乏人のパラドックス（矛盾）」とでも言うべきか。



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    <title>ガラクタは家庭をも破壊する</title>
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    <published>2006-07-29T11:27:07Z</published>
    <updated>2006-09-01T17:58:37Z</updated>
    
    <summary>　ではどうすればよいのか。どうすれば、ガラクタをつかまなくてすむようになるのか。 　同じビデオを二度と借りずにすむ方法なら、簡単である。手帳かなにかに今までに借りたソフトのタイトル名を全部書き出して、そのメモを見ながら重複していないか確かめてビデオを借りればいい。そうすれば確実に解決する。...</summary>
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        　ではどうすればよいのか。どうすれば、ガラクタをつかまなくてすむようになるのか。

　同じビデオを二度と借りずにすむ方法なら、簡単である。手帳かなにかに今までに借りたソフトのタイトル名を全部書き出して、そのメモを見ながら重複していないか確かめてビデオを借りればいい。そうすれば確実に解決する。
        　もちろんマニアを自称するようなよっぽどのＡＶ好きでもなければ、自分の手帳が「女子高生○○」だとか「素人ナンパ△△」だとかという文字で真っ黒にすることはできない。 そんなことができれば、その道のプロとして十分食えるだろう。

 しかしそうすれば、間違いなくこの問題が解決できるということは、誰にでもわかってもらえるだろうと思う。これはつまり例の「買い物上手な主婦」のやり方と同じである。

　しかしこれがそのまま、貧乏人がガラクタばかりつかんでしまう問題の解決策として通用するかと言えば、コトはそれほど単純ではない。

 と言うのもアダルトビデオの場合はアタリハズレがハッキリしていて、どれがアタリでどれがハズレだか、だいたいハッキリするからである。

 そしてまた、他人がどうこう言おうと、そのアタリハズレは本人的な効用（満足度）だけで判断してよいものだからである。

看護婦モノが好きな人間、女子校生モノが好きな人間、別にそれはそれだけであって、他人は他人、自分は自分。支障はあまりない。それによる損失だって、大した金額にはならない。

　しかし他のガラクタをつかむ場合は、そうはいかない。
 というのも、ガラクタというのはたいてい、使用価値がないからである。

 使えないからガラクタなのであって、ガラクタを買ったらそれに支払ったお金は丸々ムダになる。

「あ、これいいな」と買ってきたはいいが、ちょっと使ってみたら思っていたほどのことはなく、結局そのままその辺にころがったままのモノが、どこの家にも一個や二個はあるだろう。ガラクタというのは結局、そう言うもののことなのである。

　ガラクタをまた別の何かの用途に使うために買う人間もいるだろうが、しかしそれはガラクタがガラクタであることをしっかり把握していて、買う時もガラクタだと承知し、ガラクタとしての値段で買っている。

 しかし貧乏人はそうではない。ガラクタを買っているという意識がなく、平気でガラクタに大金を投じる。

 長年かかって貯めた金であっても、借金しまくって集めた金でも、平気でそう言うモノを買う。

　ボクのようなヤモメであれば、ガラクタに大金を支払ってもそれは自分一人の問題ですむが、家族を持つ人間がそういうことをし出せば、他の者にもその影響が及ぶ。

 ウチのように父親がギャンブルで大金をスッたり、母親がわけのわからぬ宗教の二束三文の価値しかないツボなどを何百万もだして喜んで買ったりすると、直ちに生活に跳ね返る。

 子供を学校にやる金がなくなったり、借金が返せなくなったり、育ち盛りの子供に満足にメシも食わせられなくなったり…それが原因で一家離散、家庭がぶっつぶれるなんて貧乏人の家によくある話である。

　しかしガラクタを買った張本人にはそれがわからない。なんせガラクタだとわかっていないから。そしてそういうガラクタが大好きだから。そうやって貧乏人は貧乏になり、さらに家族や周囲の者を巻き込んで、どんどん不幸を拡大していくわけである。


（第７章・おわり）


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    <title>育ちのいい人間には、良いモノの匂いが嗅ぎわけられる</title>
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    <published>2006-07-30T11:31:54Z</published>
    <updated>2006-09-01T18:00:12Z</updated>
    
    <summary>　裕福な人間はガラクタをつかまない。そしてその一方で、貧乏人は山ほどガラクタをつかみ、せっせとそれにムダなお金と時間を使っている。  これが本当だとすると、裕福な人間はなぜ、ガラクタをつかまないのだろう。...</summary>
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            <category term="第８章、育ちの良さは、加速する" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hakase-jyuku.com/poorman/">
        　裕福な人間はガラクタをつかまない。そしてその一方で、貧乏人は山ほどガラクタをつかみ、せっせとそれにムダなお金と時間を使っている。

 これが本当だとすると、裕福な人間はなぜ、ガラクタをつかまないのだろう。
        
　確率論的に言えば、たとえ貧乏人であろうと金持ちであろうと、目を閉じて「エイヤッ」とモノをつかめば、同じ割合でガラクタを引いてくるはずである。世の中には本当に運の良い人間というのもいるが、いくら裕福な人間でも目をつぶっておれば、ガラクタをつかむ確率は、貧乏人と大差ないはずなのである。

　ところがボクの観察によると、育ちのよい人間というのは、ガラクタやハズレをなかなかつかまない。そして間違ってつかんだとしても、さっさと手放してしまえるのである。たとえばパチンコのようなものでも、貧乏人は負けが込んでも財布をはたくまで続けてしまうが、裕福な人間はある程度負けた時点で、さっさと負けを宣言して途中でやめてしまえるのだ。

　ボクなどは貧乏人だから、パチンコでたとえ二三千円しか負けていなかったとしても「絶対に取り返すぞ！」としゃかりきになって頑張ってしまうというのに、彼らはそうではない。出ないと判断すれば、何万負けていてもさっさとやめてしまえる。そしてまた裕福な人間は、当たりをつかんでもちょうど良い状態で止められる。

　たとえばボクの知り合いの女の子などは、運良くいい台をつかんで玉だとかコインだとかをそこそこ出したら「やめる」と言ってさっさとやめてしまう。いい台というのはアタリを引いたということであるから、押せ押せでどんどん突進するのもギャンブルの一つのセオリーだと思うが、彼女はツキが落ち始めた下り坂の途中ではなく、ツキだした登り坂の途上でやめてしまえるのだ。

「えーっ、もったいない。まだもう少し出るかも知れないのに！　ツイてる時にやめるなんて。これからじゃない」

などと卑しいボクは彼女を説得するのだが、しかし彼女は

「でももう、飽きちゃったから。どーげんは、もうちょっとやってていいよ。あたしそのへんでちょっと遊んで来るし」
などと言って、やっぱりやめてしまう。

　勝ちだして調子が出だしてさあこれから！　と言うときにやめるなんて貧乏人のボクからすれば勝ちをドブに捨てるようなものだが、しかし育ちのいい人間はそのあとに手にできるかも知れない何万円のお金より、手元にあるコインを大事にする。少々の負けより、勝ってる気分の方が優先らしい。

　貧乏人にとって、パチンコやギャンブルに注ぎ込むお金は、たとえそれがわずか千円であっても必ず取り返さなければならない金である。なぜならその金があるのとないのとでは、生活の豊かさが全く違うからである。貧乏人がギャンブルに投じるお金は、生活費の一部なのである。

 しかし彼女のような育ちのいい人間の二三千円は、遊園地の入場料のようなものらしくて、取り返さなければならないお金などではないらしい。何千円だかの入場料を払って遊園地に入り、遊んでつまらなくなったらどこかで御飯でも食べて家へ帰る、そういった感覚のようである。

　だが、一度にあまり大きく賭けないというのも、ギャンブルで負けないセオリーである。というのもギャンブルの負けというのはたいてい、負けが込む前の負け分より、負けが込んでからの負け分の方がはるかに大きいからである。

　たとえば二万円つぎ込んで負けた時、そこで止めれば負け分は二万円ですむが、そこで逆上して負けた二万円を取り返すためにさらにお金をつぎ込んで勝負を続けると、結局五万も六万も負けてしまうことがしょっちゅうだ。

 そしてそうなると、次はその五万を取り返さないと気が済まないから、そこで一万や二万勝ったとしてもそこで止めることができない。

　で結局また負けを増やす羽目になる。

 最初に二万円負けたときに「今日はツイてない」と諦めておれば、次に二万円勝った時にチャラになったのだが、逆上して一時に負けを増やしてしまったために、次に二万円勝っても勝った気分になれず、そのまま勝負を続行して結局また負けてしまう。そんなことが、しょっちゅうなのだ。

　だから、彼女もよくパチンコをしていたが、そんなに大きく負けがこむということはなかった。彼女の投資は最小限だから、たまに勝った程度でいっぺんに取り返せてしまうからだ。

 しかも取り返したその金は、彼女の意識の上ではとっくに無いことになっている余分な金であるから、以前から欲しかったけれどちょっと我慢していたモノを手に入れるのに使える。神様にプレゼントされたような、予定外の収入だ。

　ボクなどもパチンコやパチスロなんかで大勝ちしたりすると、来月か再来月に買う予定をしていたものや、少し値が張って普段なら手を出しにくい商品を直ちに買い込んでしまうが、何のきがねもなくお金を使ってしまえるというのは、それはそれは本当に気持ちの良いものである。

 その気持ちの良さも、ボクがパチンコによくはまる大きな原因の一つなのだが、ボクの場合は後日また、それ以上の金額を利子をつけてパチンコ屋に返してしまうことが多いから、そういう意味では彼女のやり方の方が断然妥当である。

　しかしなぜ、彼女が何千円も負けていても平気で「疲れちゃったから」といってゲームから降りてしまえるのかは、長い間よくわからなかった。

 どうしてそういう事ができるのかと尋ねても、彼女は「わかんない」としか答えなかったし、強いて尋ねても彼女の口からは

「何となく居心地わるい」
とか
「飽きちゃった」
とか
「疲れちゃった」
とかいう感覚的な言葉しか、出てこなかったからである。


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    <title>裕福を解く鍵は、五蘊盛苦かも知れない</title>
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    <published>2006-07-31T11:03:19Z</published>
    <updated>2006-09-01T18:01:03Z</updated>
    
    <summary>　彼女の口からなぜ、そういう感覚的な言葉しか出てこなかったのか。  そこにボクは、育ちのいい人間というものがなぜガラクタをつかまないか、そしてガラクタをつかんでもなぜすぐ手放すことができるかという疑問を解く、重要な鍵を見つけた。...</summary>
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            <category term="第８章、育ちの良さは、加速する" />
    
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        　彼女の口からなぜ、そういう感覚的な言葉しか出てこなかったのか。

 そこにボクは、育ちのいい人間というものがなぜガラクタをつかまないか、そしてガラクタをつかんでもなぜすぐ手放すことができるかという疑問を解く、重要な鍵を見つけた。
        　彼らはどうもアタマではなく、皮膚感覚や五官全部でそれを感じているらしい。
 彼らは何らかのシグナルによって、本能に近い反応でガラクタを見分けて拒否するらしい。

つまり彼らは無意識のうちにガラクタを除けることができるし、子供が嫌いなモノを押しのけるようにガラクタが身近にあると何とかして遠ざけたくなるようなのだ。

「五蘊盛苦（ごうんじょうく）か…」

　ボクの脳裏に、そういう言葉が浮かんだ。五蘊盛苦とは仏教用語で、根元的な苦しみの一つである。四苦八苦の、八番目の苦と言えば、わかりやすいか。

　仏教では「生まれること」「死ぬこと」「老いること」「病むこと」を、先天的・肉体的な四つの苦しみであるとする。

 そして

「愛別離苦（あいべつりく・愛するモノと離ればなれにならねばならない苦しみ）」、

「怨憎会苦（おんぞうえく・嫌いなモノとも出会わねばならない苦しみ）」、

「求不得苦（きゅうふどっく・欲しいモノが手に入らない苦しみ）」、

「五蘊盛苦（ごうんじょうく）」

という後天的・心理的な四つの苦も、人間を苦しめる根源的な原因だという。

　総称して「四苦八苦」あるいは単に「八苦」と呼ぶが、戦前の大説法家である友松圓締の『法句経講義』によると、五蘊盛苦とは五体の機能が盛んになりすぎてオーバーロードしていることによる苦しみである。

　五蘊盛苦の五蘊とは、色・受・想・行・識という五つのことで、色とは肉体あるいは物質のこと、受とは外界からの刺激を感じる作用のこと、想とは見たままをイメージする表象作用のこと、行とは行動を起こす意志作用のこと、識とは五感からくる情報をまとめて一つの全体イメージを作る作用のことである。

　仏教ではこの五つの要素で人間が成り立っていると考えている。色（肉体）以外は、神経や脳や心の働きであるが、この五つの要素のうちのどれかの活動が活発になりすぎて、それを自分ではうまくコントロールできなくなってしまうと言う苦しみが、つまり五蘊盛苦である。

　たとえば若い男女が欲望を抑えられずに暴走したり、自分は淫乱なのじゃないかと悩んだりする類の苦しみも、五蘊盛苦の一種である。感受性が過敏になって、ススキの陰にもビクビクするというのもその一つである。

 モノはきっちりと整理整頓されていなければいけない、世の中のことは辻褄が合わねばならない、などと怒る人も多いが、これも実は五蘊盛苦である。

「教授」と呼ばれているある人気作曲家が、以前インタビューで「演歌はどうも音楽だと思えない」などと言っているのをＴＶで見て「ふーん」と思ったことがあるが、クラシック音楽という理論がハッキリしたモノをしっかり学んで豊かすぎる音楽性（識）を身につけてしまうと、常にそれを物差しにして他の音楽を判断するようになってしまい、
それに満たないモノは心が拒否するようになってしまうのだろう。こういう苦しみも、五蘊盛苦なのである。

　五蘊盛苦の解釈は門派によって諸説あるが、他者との関係ではなく自分という存在の中からどうしようもなく出てくる苦しみが五蘊盛苦である、と考えればよいのではないかと思う。



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    <title>裕福な人間には、激しい生活水準回復本能がある</title>
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    <published>2006-08-01T11:34:27Z</published>
    <updated>2006-09-01T18:02:05Z</updated>
    
    <summary>　育ちのいい人間がなぜガラクタをつかまないか、そしてガラクタをつかんでもすぐにそれを手放してしまえるかという原因は五蘊盛苦ではないか。ボクはそう考えた。物質的にも肉体的にも精神的にも良い環境で育った彼らは、無意識のうちに識として築き上げたその良い環境を物差しにして世界を測るのだ。...</summary>
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        　育ちのいい人間がなぜガラクタをつかまないか、そしてガラクタをつかんでもすぐにそれを手放してしまえるかという原因は五蘊盛苦ではないか。ボクはそう考えた。物質的にも肉体的にも精神的にも良い環境で育った彼らは、無意識のうちに識として築き上げたその良い環境を物差しにして世界を測るのだ。
        

　以前、幼い頃からの友人のヤグチ君に「ギャンブルなんかはせえへんの？」と尋ねたことがあったが、彼はその時即座に「パチンコはタバコの煙とか音とかが凄いだろ、だからしない」と答えた。「ギャンブルをするなら競馬の方がまだ気分がいい」と。ボクの後輩でも「競馬はするけど」という女の子がいたが、育ちのいい人間というのはそういう感覚を大事にしているらしい。

　パチンコで、せっかく玉が出始めても「疲れちゃったからあたし、もうやめるね！」
といって本当にやめてしまう彼女がなぜ「疲れた」とか「飽きた」とか「気分が悪くなった」という感覚的な言葉でその理由を表現したかといえば、それが五蘊盛苦からくる苦しみを表現していたからなのではなかろうか。

　それはきっと履き心地の悪い靴やジーンズでもはいたような、パンツを後ろ前さかさまにはいたような、そんな種類の違和感なのだろう。イタリア製の靴をはきなれてしまうともう他の靴をはく気になれないとか、寝心地のよいベッドやソファを知ってしまうともう今までのでは眠れないとか、そんな感じなのかも知れない。上質なモノに慣れてしまうと、はき心地や寝心地・居心地の悪いモノは受けつけなくなってしまうのだから、まさにこれは五蘊盛苦の一種である。

　彼女にとって、パチンコは好きだからやるが、負けるのは気分が悪い。だから負けが増えると気分が悪くなって、そこにはもういられなくなって止める。そして逆に勝っているときは気分が良い。気分が良い状態を長続きさせるために、勝ちだして幸せな気分になりだしたくらいで止めてその余韻を楽しむ。そんな感じだったのだと思う。

　だが貧乏人はそう言うことができない。育ちが悪いせいか、気分が悪くてもそのままで我慢してしまうし、居心地の悪い場所にいても体調が悪くても、ずっとそのまま続けてしまう。寒い恰好で寒い場所に長居して体調をすぐに悪くするし、疲れて肩や目が痛くなっても延々パソコンに向かっていたり、パチンコやゲームを続けたりするのだ。もちろん寝具にも気を使わないし、湿気にも鈍感。食事だっていい加減。

　以前ボクが半分地下に埋まったようなアパートに住んでいた時、ある友人がボクに「こんな湿気の多い部屋は早く引っ越した方がいい」などと突然言ったことがあったのだが、その時ボクは彼が何を言っているのかまるで理解できなかった。彼は自分の肌で感じた感覚を、そのまま素直に表現したのだろうが、ボクにはそういう感覚は備わっていなかった。

　それも道理で、ボクは子供の頃から寒い部屋で寝ていたし、脚の出るようなせんべい布団で眠っていた。親もちゃんとした布団を用意しなかったし、ちゃんとした服も買い与えなかった。だからそういう暮らしが普通だと思っていたし、苦痛を感じても我慢せざるを得なかった。そういう事が人生の大事で、何をさておいても取り除かなければならないモノだとは、まるで考えなかったのだ。

　しかし育ちの良い人間には、そんな生活は耐えられない。健康であればあるほど苦痛は耐え難いし、なにしろ五蘊盛苦は根源的な苦しみなのである。だから裕福な人間は、そういう状況下に陥ったら何が何でも元の水準近くまで、生活を戻そうとする。

なにせ居心地が悪いのだ。気持ちが悪いのだ。苦しいのだ。痛いのだ。だから必死になってそこから脱出し、自分を育んだ水準まではいあがろうとする。ボクにとっては快適な、少なくとも普通な環境から、彼らは必死になって脱出しようとする。

　だから、裕福な人間というのはビックリするほど頑張る。貧乏人が驚くぐらい働く。そして休むことが必要な時には、しっかり休養をとるのである。



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    <title>豊かな国は、裕福な人間にしか作れない</title>
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    <published>2006-08-02T05:35:13Z</published>
    <updated>2006-09-01T18:02:55Z</updated>
    
    <summary>　第二次世界大戦で東アジアは甚大な被害を被った。日本による大陸への進出侵略、それに対抗した連合国の日本攻略、ソ連による終戦間際の物質的略奪、中国による共産主義的膨張と思想侵犯、韓国・朝鮮による周辺国の軍隊を引き込んでの有史以来のいつもの権力闘争。...</summary>
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        　第二次世界大戦で東アジアは甚大な被害を被った。日本による大陸への進出侵略、それに対抗した連合国の日本攻略、ソ連による終戦間際の物質的略奪、中国による共産主義的膨張と思想侵犯、韓国・朝鮮による周辺国の軍隊を引き込んでの有史以来のいつもの権力闘争。
        
　そういう諸々の破壊の中から、なぜ日本と台湾と香港だけがすぐに繁栄を取り戻したかと言えば、これらの地域が戦前すでにかなり高水準の社会を築きあげていたからである。

　たとえば国民党政府が台湾人蜂起に銃で答えた「二・二八事件」の頃の台湾では、大陸から渡ってきた役人が、柱に蛇口だけ取り付けて「水がでない」と言って台湾人の失笑を買ったなどという話がある。それは大陸ではまだ水道というものが一部の都会にしか普及しておらず、その仕組みが理解されていなかったからであろう。

　そう言った連中が再建する社会には、恐らく水道など引かれない。

　水道というものの仕組みと有り難さをみんなが知っていればこそ、その再建は理解され、それに大金と大労力が注ぎ込まれるが、それがわからない者にとっては、そんなモノに大金と労力をかけるなんて、とてもじゃないができないし理解されないのである。

　だから日本や台湾や香港の人々は、失った高水準の生活を取り戻すために、シャカリキになって頑張った。

　思想がどうの責任がどうのという問題よりも、とにかく当時の居心地の悪い環境から抜け出そうとし、頑張ったのだ。まさに、激しい生活水準回復本能である。

　だがしかし、その他の国の人々は、戦前もさして高い水準の生活をしていなかった。

　確かに高水準の生活をしていた人間もいただろうが、貧富の差が大きすぎてそういう生活を実感できる人間が少なすぎた。

　だから日本や台湾や香港などのようには経済が回復されなかった。

　毛沢東が田舎出ではなく、そしてちゃんと西欧留学の機会を生かして欧米の様子を知っていたならば、中国はとっくの昔に豊かな国になっていただろうと邱永漢は書いてい
る。

「延安の山だし」が政治の実権を握らなければ、もっとはやく方向転換しただろう、と。

　毛沢東は北京大学の図書館で働いていたノンキャリアで、タタキアゲである。しかし豊かさを理解できないタイプの人であったようだ。

　彼は、留学の機会や先進国訪問の機会があったにもかかわらず、自分の地位を失うことを恐れて海外に出ることを「怠った」。だから彼らには、壊れて失ってしまったモノを作り直すことすらできなかったのだ。

　元々そんなものは持っていなかったから必要すらも感じず、そういうことをしようとする者がおれば、妨害すらしてしまったのだ。

だから彼らには激しい生活水準回復本能が働かず、低い水準の生活が回復しただけの状態でもう権力争いや思想問題・責任問題へと関心が移っていった。

　貧乏と裕福という観点は、人間社会全体にかかわる問題だとボクは思う。搾取だとか収奪という視点では、中国がなぜ豊かになるのが遅れたかは説明がつかない。

　外国の勢力を徹底的に排除して、誰も搾取も収奪もしない国を作り上げたのに、国が貧しいままだったのだから。

　裕福な人間がなぜガラクタをつかまずガラクタをつかんでもすぐに手放すのか、そして裕福な人間が貧乏な人間よりなぜ頑張るのか。それは五蘊盛苦のせいなのである。

　彼らの動機はただ自分の苦しみから逃れようとしているだけなのだ。がしかし、その行動が彼らをまた幸福な状態へとひきもどす。

　だが悲しいかな、貧乏人にはそれがない。それがあったとしても、親や周囲から悪い環境で我慢するように育てられるのだ。



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    <title>育ちのいい人間はなぜ、自分の失敗をうれしそうに話すのか</title>
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    <published>2006-08-03T07:36:18Z</published>
    <updated>2006-09-01T18:05:11Z</updated>
    
    <summary>　ボクは自分からは滅多に他人には話しかけないし、自分のことも進んで他人に話すことはない。それは恐らく小学生のころから貧乏だったせいもあるし、両親がいつも夫婦ゲンカに明け暮れ、それに怯えるような毎日だったから消耗していたせいもあるだろう。さらに鼻づまりで頭痛持ちで、うまく笑顔が作れなかったせいもある。...</summary>
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        　ボクは自分からは滅多に他人には話しかけないし、自分のことも進んで他人に話すことはない。それは恐らく小学生のころから貧乏だったせいもあるし、両親がいつも夫婦ゲンカに明け暮れ、それに怯えるような毎日だったから消耗していたせいもあるだろう。さらに鼻づまりで頭痛持ちで、うまく笑顔が作れなかったせいもある。
        
　おまけに中一の時に転校したから、小・中・高・大学と共に進学した友人など一人もいない。女兄弟もいないし、親しい女友達というのもいなかった。だから、女の子と話すのも全く苦手である。

　だからボクには自分の腹を割って話をしたり、平気で失敗談をできるようなそういう知り合いはいない。親だってそうだし、友人だってそうである。

　だから大学に入ってアマノ君という友人と知り合った時、彼が自分の体験談や失敗談をいつもうれしそうに平気で話すのを見てとても驚いた。何でこんな事までこいつは話すのだろうといつも不思議に思い、そして感心した。

　たとえばある日、アマノ君はパチンコをしていたら置き引きに会ったのだが、
「次の日犯人らしきオバサンに、再び会って文句を言ったらヤクザみたいなヤツにすごまれた。お金はいいから、とにかくボーリングの券だけでも返して欲しいよぉ！」
などとそれを話した。

　またある時○○教会という、当時大学で問題になっていた宗教団体の勧誘員が、アマノ君のアパートにやってきたのだが、彼はその勧誘員を中へ入れて延々その人の話を聞いた。もちろん入信はしなかったが、シンガイ君に「そんなヤツ、部屋の中に入れるかー普通」と言われて彼はこう答えた。「だってー、寂しかったんだもん」。

　さらに京都はニシンそばが名物だから、「ニシンそばを誰か一緒に食べにいってくれないか、お金はボクが出すし！」　とクラス中のヤツに言って回ったら、ほんとにクラス中のみんなが集まってきちゃって「困っちゃったよー」。

　綺麗なお姉さんに誘われてついて行けばオカマだったし、マンションの近くに車を止めていたら警察に通報されるし、そんな感じで彼はボクらから見るとつまらない失敗を次々と繰り返し、そしてその一部始終を恥ずかしそうに、だが微かにうれしそうに話した。置き引きにあった時はさすがに悔しそうにしていたが、それでも半分はうれしそうにその話を何度もした。

　ボクの周囲には、それまでそういう自分の恥ずかしい失敗談をうれしそうに話す人間が一人もいなかったから、ボクはそんなことを平気でするアマノ君にとても驚いた。ビートたけしさんもＴＶやラジオでよく自分や他人の失敗談をよくするけれど、アマノ君もそういう感じで山ほど話をした。

　もちろん彼は、もっとおっとりした感じのしゃべり方だったが、そんな彼の失敗談を聞きながら、ボクは「何でこいつ、そんな失敗をするんやろ、ドジやなー」とか、「何でこいつ、もっと気を配らんのやろう、アホやなー」などと思っていた。そして「自分ならそんな失敗なんか絶対しないぞ」などと思ってちょっとした優越感に浸っていたよ
うに記憶している。

　だがしかし、ボクならたぶん絶対話さないようなそんな恥ずかしい話を、彼がなぜ平気でしかもうれしそうに話すのかは、よくわからなかった。

裕福な人間は、なぜか自分の失敗談を平気で話すのだ。


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    <title>育ちの良さは、能力を加速する</title>
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    <published>2006-08-04T10:37:20Z</published>
    <updated>2006-09-01T18:05:52Z</updated>
    
    <summary>　ボクのアマノ君に対する評価は、初めは非常に低かった。というのも彼は、男の子なら普通にできそうなこともなかなかできなかったからである。...</summary>
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        　ボクのアマノ君に対する評価は、初めは非常に低かった。というのも彼は、男の子なら普通にできそうなこともなかなかできなかったからである。
        　たとえば知り合った当初のアマノ君は全くの機械オンチで、レコードプレイヤーを買ったときもビデオを買った時も、彼は「わかんないんだよぉ！」とか「映らないんだよぉ！」などと言ってシンガイ君やボクらを呼んだ。

　今考えてみると、それは彼の友達を呼ぶための一種の口実のようなものだったのかも知れないが、ボクはそんな彼を見て自分の尺度で彼を判断し

「男のくせにこんな簡単なこともできんとは、どういうやっちゃこいつは」

などと、ちょっとした優越感をもったように覚えている。そういうわけだから、ボクはアマノ君の事を知り合った当初は少し侮っていた。

　もちろん何だかんだと言っても、ボクらはお互い同じ京大の学生なのであったから、一定以上の評価はしていたのだが、しかし彼の子供っぽさと失敗の多さ、そしてそれを平気で友人たちに喋ってしまうというような抜けた感じは、ボクに彼を侮らせるに充分な材料だった。

　それこそが実は彼の「育ちの良さ」なのだということが、当時のボクにはまだ、理解できなかったのである。

　しかしその後のアマノ君の成長ぶりは、すさまじかった。ボクらと知り合って何年もたたないうちに、彼は急激に成長したのだ。

　最初は簡単な簡易ステレオの配線すらできなかったのだが、しばらくすると、もうビデオやらアンプやら、大きなスピーカやらのゴチャゴチャした配線を、平気で一人でやるようになった。

「車に乗ると酔うんだよー、それに運転なんて怖いしー」などと言って自動車免許を取らなかったのに、四回生の時に免許をとるとすぐ中古車を買って、毎日のようにそれを乗りまわした。

　ボウリングもテニスも自転車も、何でもかんでも上達し、中型自動二輪の免許もとって、きれいなバイクも乗りまわした。面白い場所があると聞くとすぐにそこへ行き、サークルの後輩連中とよく遊んだ。

　アマノ君はそうしてヒトにモノを教わると、乾いたスポンジのように見る見るそれを吸収し、そして周囲の人間が驚くぐらいに上達したのである。

　彼のサークルの後輩連中の目に彼は、快活で活動的な人間だと写っていたかもしれないが、ボクら彼の昔を知る者からすれば、それはまるで別人と見間違うような成長ぶりであった。

　正直言ってボクは彼の成長に驚いた。そしてなぜ彼がそんなに急激に成長できたのか、とても不思議に思った。



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    <title>仏の話を聞く者と、聞かない者との差とは？</title>
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    <published>2006-08-05T08:38:12Z</published>
    <updated>2006-09-01T18:07:00Z</updated>
    
    <summary>　ボクにはアマノ君が三四回生の頃から急激に成長したのと、ビートたけしさんがマンザイブームを経てメキメキとその才能を発揮しだしたのには、何か共通したものがあるように感じた。彼らに共通する、自分の失敗や恥ずかしいことを恥も外聞もなく他人に広く披露できるという性格が、彼らの爆発的な成長や発展の大きな要因であるかのように思えて仕方なかった。...</summary>
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        　ボクにはアマノ君が三四回生の頃から急激に成長したのと、ビートたけしさんがマンザイブームを経てメキメキとその才能を発揮しだしたのには、何か共通したものがあるように感じた。彼らに共通する、自分の失敗や恥ずかしいことを恥も外聞もなく他人に広く披露できるという性格が、彼らの爆発的な成長や発展の大きな要因であるかのように思えて仕方なかった。
        　彼らは共に何もそんな情けない事まで他人に話さなくても、というような失敗談ですら他人に話す。ごく親しい友達だけにというわけではなく、周りにいる殆ど全ての知り合いに対してそれをする。

　もちろん彼らだって相手に対して話す内容を変えていたようだが、しかしたけしさんに至っては、ありとあらゆる人間が見ているテレビ上でも、そういう事がすらすらできてしまう。つまり、本質的に彼らは、殆ど何でも話してしまえるようである。

　でも彼らは一体なぜいつも、そんなことするのだろうか？　そしてまた、彼らはなぜそれを恥ずかしく思わないのだろうか？　ボクにはそれがどうも、不思議で仕方なかった。「自分の恥部をさらしてまで一体何の得があるんだろう？」そう思って、彼らの行動を訝しがっていた。

　だがしかし、ボクが何気なく増谷文雄の『仏教百話』を読んでいた時に、何だかそれがわかったような気がした。この本は仏教に関わる様々な概念を仏陀と弟子の会話から紹介するという、言ってみれば仏教の物語風の入門書だったのだが、その中の一つの「受（じゅ）」の話の中にヒントがあった。

　内容を思い切って意訳してここに書き出してみると、こうである。

　ある時ブッダは弟子たちを集め、問題を出して試験をした。それは仏の教えを聞くものと聞かないものとが「受」においてどう違うのか、という問題であった。

「仏教の教えを聞かない人間は、美しいモノを見たり楽しいことをしたりすると『美しいなあ』とか『楽しいなあ』と感じ、また病気をしたり知人が死んだりすると『苦しいなあ』とか『悲しいなあ』と感じる。しかし仏教の教えを聞いた者もやはり美しいモノをみたり楽しいことを体験すれば『美しいなあ』とか『楽しいなあ』と感じ、病気や死に対しては『苦しいなあ』とか『悲しいなあ』という感情が起こる。仏の教えを聞こうが聞くまいが同じ感情が起こり苦しむのであれば、仏の教えなど聞かなくてもいいのではないのか？」

そういう試験であった。

　外界の刺激に対して反応する心のはたらきが「受（じゅ）」である。感受性というのは、受を感じる性質の感度のことをいう。

　確かに坊さんであろうがなかろうが、怖いものは怖いし楽しいものは楽しい。仏教というのは何が起こっても感情が起きない人形だか石仏だかになろうという教えではない。苦しみを克服しようという教えである。

　だから修行をいくら積んでも普通一般の人間と同じように、様々な現象に対して様々な反応を示す。
楽しい感情を起こせば「楽受（らくじゅ）」、苦しい感情を起こせば「苦受（くじゅ）」、
楽しくも苦しくもない場合は「非苦非楽受（ひくひらくじゅ）」と言う。

　根気よく修行を積んで悟りをひらいたとしても、修行をしない人間と同じようにあたふたしたり苦しんだりするのであれば、仏教なんかやっても意味なんかないんじゃないの？　とブッダは弟子たちに問うたわけである



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    <title>一の矢は受けても二の矢、三の矢は受けず</title>
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    <published>2006-08-06T05:39:34Z</published>
    <updated>2006-09-01T18:08:06Z</updated>
    
    <summary>　ブッダのそういう問いに対して残念ながら弟子たちは答えることができなかった。 　まあ答えを自分で出せないからこそブッダに付いて学んでいるわけだから、答えられなくてもおかしくはない。 　だから弟子たちはブッダに対して教えを乞うた。 「わかりません。申し訳ないですが教えて下さい、ブッダよ」と。...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://hakase-jyuku.com/poorman/">
        　ブッダのそういう問いに対して残念ながら弟子たちは答えることができなかった。

　まあ答えを自分で出せないからこそブッダに付いて学んでいるわけだから、答えられなくてもおかしくはない。

　だから弟子たちはブッダに対して教えを乞うた。

「わかりません。申し訳ないですが教えて下さい、ブッダよ」と。
        　それに対してのブッダの説明はこうであった。

「仏の教えを未だ聞いていない世間一般の人間というものは、悲しいことや苦しいことがあると無用に悲しんだり苦しんだりしてさらにどんどん落ち込んで行き、そして最後には底無しのドロ沼に足を突っ込んでしまうものなのだ」

　恋人にふられたとか受験に失敗したとか、はたから見れば取るに足らない小さな出来事であっても、それを苦にして悲観し自殺する人間は現代社会でも後を絶たない。冷静になって判断すればいくらでも取り返しのつくようなことであっても、悩みが膏肓に入ってしまうとどうしようもならなくなる。

　それはお使いに行った小さな子供が、わずかなお金を落としたぐらいで
「ウチが破産したらどうしよう」
と脅えるようなことなのであるが、現実にはそういうことでも命まで落とす。

「これは第一の矢を身体に受けた後にちゃんと体勢を立て直すことができず、次の矢もその次の矢もその身に受け、その結果取り返しのつかない致命傷を負ってしまうことと同じことなのだ」
とブッダは説明する。そしてまたさらに付け加えて
「そしてまた、それは苦受の場合だけに留まらず、楽受であっても同じことが起こる」
と言う。

「普通人間というのは楽しいことやうれしいことに出会えばそれに浮かれて陽気になる。
思いがけない人間にであったり、思わぬ大金を手に入れたりすれば誰だって大騒ぎするしはしゃいだりする。しかしそれもやはり冷静な態度ではない。だから楽しすぎても常軌を逸し、その結果やはり二の矢三の矢をまともに受けるようなことが起こってしまう」

　ギャンブルなどではビギナーズラックなどと言って、ド素人でも大当たりを引くことが結構ある。しかし人間は、最初に何の努力もなしにいきなりイイ目を引き当ててしまうとかえってドロ沼にはまり易いものなのである

　パチンコをする時などにボクもよく体験することなのだが、緊張しながらゲームを始めてすぐさま大当たりなどを引いてしまうと途端に気が緩み「今日はいい台を引いた。一万以上は堅いな」などと勝手に思い込んでしまうことが多い。そして頭はすでに「アレも買おうコレも買おう」などと勝手な皮算用でいっぱいになり、その台が実際によく出るかどうかなんて関係なくどんどんどんどんお金を注ぎ込んで、結局帰る頃には有り金全部はたいてしまったりする。

　最初の思わぬ幸運に、パチプロをやっていたようなベテランでも簡単に浮かれて失敗してしまうのだ。サギやペテン師がなぜあんな上手すぎる話で多くの人間から大金を巻き上げれるかと言えば、人間のそういう性質をよく理解しているからだと言える。

「苦受であっても楽受であってもそれをキッカケにして人間は致命傷を負いダメになってしまうものなのだ」これがブッダの洞察だったのである。冷静な凄い洞察である。

　そしてブッダは仏教の効用を次のように説いた。

「仏教者であっても美しいモノを見れば美しいと感じるし、嫌なことに逢えば嫌だと感じる。しかし仏教者が他の者と異なりそういう受に溺れないのは、それを常に客観的に捉え冷静さを失わないからである。つまり、『第一の矢は受けても、第二第三の矢は受けない』ということなのだ。

そのために仏弟子は修行をし、悟りを開くのだ。それが普通の人間と仏教の教えを聞く人間との差なのだ」と。



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    <title>知恵は、在野に求めよ</title>
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    <published>2006-08-07T12:41:02Z</published>
    <updated>2006-09-01T18:08:50Z</updated>
    
    <summary>「一の矢は受けても二の矢、三の矢は受けず」 　ボクはこの言葉を何度も何度も繰り返した。もちろん自分の頭にしっかりたたき込むために。...</summary>
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        「一の矢は受けても二の矢、三の矢は受けず」

　ボクはこの言葉を何度も何度も繰り返した。もちろん自分の頭にしっかりたたき込むために。
        　誰だって失敗はするのだ。裕福な人間であろうと貧乏人であろうと。誰だって病気になったりケガをしたり、運の悪い目に逢うのだ。

　もちろん最初の大失敗で不具になったり命を落としたりすればそれは「不運」としてあきらめるしかない。そういう運命だったと、そういう不運が自分に当たったのだと。

　しかし二度目三度目は、実は不運なのではない。

　最初の失敗をしっかり分析し、ちゃんと対処し、そういう癖を身につけていなかったからこそ、二度目三度目もそれで失敗するのである。

　同じ失敗を、十回も二十回も繰り返すことだってめずらしくない。一生同じ失敗ばかり繰り返している人間のいかに多いことか！

　アマノ君やビートたけしさんがなぜ、話さなくてもよい情けない話まで平気でみんなに話すのかといえば、それは彼らの心の奥底に「同じような失敗はしたくない、同じような損はしたくない」という気持ちがあるからなのだボクは思う。

　一つ間違えれば、それはケチとも相通ずるような感情が根底にあるのだと。

　自分が何かで失敗した。何かで損をした。恥をかいた。ガラクタを引いた。それがとても悔しい。とても腹立たしい。

　失敗したのは今更仕方ないから諦めるにしても、しかし二度と同じ失敗はしたくない。
決して二の矢三の矢は、受けたくない。

　だからなぜ自分が失敗したのか、どうしても知りたい。どうすれば同じ失敗を繰り返さなくてすむか、どうしても知りたい。そういう強い欲望を彼らは秘めているのだとボクは思うのである。

　そうした時にボクならどうするかと言うと、本を読む。本を読み現象を観察し、そしてそのパターンを何とか独力でつかもうとする。苦しみながらつい一人でそれを解決しようと試みる。


「一つのことを自分でやり遂げないと次へは行けない性格」

以前アマノ君がボクの性格を評してそう言ったことがあったが、それはボクが親すら子供の頼りになることを拒否する環境で育ったからだろう。

　ボクには残念だけど頼りにしてよい人間など、一人もいなかった。

　そしてボクの抱く疑問は「貧乏」だとか「宇宙」だとか「運命」などといった抽象的なものが多かったから、それに答えうる人間がほとんどいず、独力で勉強してそれを理解するしか他に手立てがなかったからであろう。

　だがしかし、アマノ君やビートたけしさんは、そんなことはしない。そんなつまらない努力を経ずに、問題を解決してしまう。それがまさに「失敗談を友人や知り合いに、広く話す」という手段であったのだ。

　アイデアは在野に求めよ、なんて言葉もあるが、彼らは実に自分の抱えている問題や悩みを広く世の中に公表するすることによって、その解決法を手に入れようとするのだ。

「あーっ、そうかーっ！」

ボクは思わず心の中で叫んだ。
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    <title>やっぱりそれも、良家の教育</title>
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    <published>2006-08-08T07:41:53Z</published>
    <updated>2006-09-01T17:51:06Z</updated>
    
    <summary>　確かに自分の失敗談や情けない話をみんなにすれば、同情は買わなくても何らかの情報は得られる。同じような失敗をした人間から話を聞けることだって、よくある。 　そして他人の失敗は蜜の味、などと言って、失敗談をすると友人や知り合いはボクが当初アマノ君に抱いたような微かな優越感に浸り、侮りながらも優しい心になってその者を助ける事だって多い。...</summary>
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        　確かに自分の失敗談や情けない話をみんなにすれば、同情は買わなくても何らかの情報は得られる。同じような失敗をした人間から話を聞けることだって、よくある。

　そして他人の失敗は蜜の味、などと言って、失敗談をすると友人や知り合いはボクが当初アマノ君に抱いたような微かな優越感に浸り、侮りながらも優しい心になってその者を助ける事だって多い。
        
　同じ失敗を経験した人間は仲間が見つかったとばかり喜んで自分の体験談を話してくれるだろうし、失敗しなかった人間も失敗しないような智恵を貸してくれる。

「三人寄れば文殊の智恵」とはいうが、ボクのように何でも自分一人の力で解決しようとする人間と、平気で広く他人の智恵を借りることのできる人間とでは、問題処理の効率も解決率も桁外れに違ってくるに違いない。

　そうやって、他人から智恵を広く借りながら自分の暮らしや能力をどんどん向上させていくのが、つまり裕福な人間のやり方であったのだ。

「借り物でも智恵は智恵」と邱永漢は言うが、つまりそれはまさにそういうことであったのだ。

　こういう話を書くと世間には「なんで？それって当たり前じゃない！」なんて思う人間がたくさんいると思う。しかし貧乏人というのは、そういうこともまるでできないのだ。

　貧乏人でも子供の時から同じ土地に住み、周囲に自分のことをよく知っている人間がたくさんいる場合にはそういった恥をさらすことができることだろうが、それにしても裕福な人間のするように、隙があったらちょっとした知り合いにでも自分の話や恥をさらしてしまおうとするわけではない。

　非常に限られた気の許せる相手にしか自分の恥をさらせない、というのが貧乏人の大きな特徴なのである。

　他人に笑われやしないか、他人にバカにされないか、そういうことがものすごく嫌いでそして嫌がる。ボクもそうだしウチの親たちもそうである。

　もちろん彼らだって、最初は失敗談を他人にするのは恥ずかしかったに違いない。しかし親や親戚に促され、一度そういう真似をして友人たちが期待以上に自分を助けてくれたり援助してくれるのを知るともう、どんどん自分のことを話さなければ気がすまなくなっていくのだろう。

　本人自身の性格というものも確かにある。がしかし、親兄弟などの周囲の環境というものも忘れてはならない。親がちゃんと、ささいな体験談や失敗談でも普段から平気で家庭や食卓でしているならば、その子供もそういうことに抵抗が少なくなる。

　そしてまた一方の親達も自分が何をしているか、何を考えどう行動しているかを常に家族や子供たちに知らせ話をするということが、家族に様々なシミレーションをする好機会を与える。それが実は裕福な家庭に参加する各人の行動を正し、全体を最適化していくのである。

家庭の状況が皆にわかれば、それぞれが対処できるが、わからないと逆に疑心暗鬼に陥ったり、不必要な努力をすることになってしまうからだ。

　邱永漢さんの家では、子供に向かっても平気で家の経済状態や事業のようすなど事細かに食卓で話題にするらしいが、そういう家庭の状況や自分の失敗談をどんどん語ることが必要なのだという良識が、豊かな家庭には当たり前のようにあるらしい。

　そしてそれがつまり、裕福な人間は、自分の恥や失敗談をうれしそうに話すと言う事であり、それがまた子供を裕福にする秘訣でもあったのだ。

　だが残念ながら、ボクの母親は一切そういう話をしなかった。

　ウチにどのくらいのお金があって家計がどういう状況になっているかもまるでボクらには知らせなかったし、そしてまた母親が一体どういう人間で、実際にボクらのことをどうするつもりでいたのかも、気配すら匂わせなかった。

　話すのは他人の悪口とできもしない耳障りの良い話ばかりで、対話も会話も全くなかった。

　だからボクが、自分の母親が実はとんでもない甘ちゃんで、学問にも息子の将来にも全く関心がなく、そんなものにお金を注ぎ込むなんて苦痛以外の何物でもないと心の奥底で考えていたと気づいたのは、散々母親にいじめられ翻弄された後であった。

　親がそういう人間であるとわかれば、子供だってそれなりの覚悟をして生きるものだが、貧乏人の親はそうやって、子供の対処すらも阻んでしまうのだ。

　貧乏人は良識など一つとして持っていない。やることなすこと無茶苦茶だ。




「あたし、ちょっと勘違いしていたみたい」

　彼女は唐突にそう言った。

「あなたの事を好きだと思ったのはウソじゃないけど、ちょっと違ってたみたい。だから…」

　良家の娘は良家の男と結ばれる。悔しいけれど、それは本当だ。


（第８章・おわり）
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    <title>あとがき</title>
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    <published>2006-08-09T08:42:56Z</published>
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    <summary>　裕福な家の子供が、なぜまた裕福になりやすいか。そして貧乏な家の子供が、なぜまた貧乏になりやすいか。それは人間というものが、自分の育った環境や見聞を基準として生きるものだからであろう。...</summary>
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            <category term="９　あとがき" />
    
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        　裕福な家の子供が、なぜまた裕福になりやすいか。そして貧乏な家の子供が、なぜまた貧乏になりやすいか。それは人間というものが、自分の育った環境や見聞を基準として生きるものだからであろう。
        
　だから裕福な家に育った子供は、裕福な親から裕福な生き方や暮らし方、そしてその良さを学んで衣食住を大事にする裕福な人間に育つ。そしてその一方で貧乏人は、貧乏な親から貧乏になるような生き方や暮らし方、そしてその過ちを受け継いで貧乏になる。

　家族間に飛び交う言葉も、裕福な家庭では明るく前向きなプラス思考の言葉をかけられるのに対し、貧乏な家では我慢しろ・ゼイタクだ・仕方がない・あきらめろといったマイナス思考の言葉ばかりで、身内が成功すればねたみ、失敗すればそれ見たことかとあざけるだけなのである。

　だがしかし、世間ではそうは考えていないらしい。裕福な人間と貧乏な人間が、行動や価値観において全く異なっているとも、その結果として、人間が裕福になったり貧乏になったりするモノだとも、思われていないらしい。

　もちろんそれは裕福な人間と貧乏な人間の持つ物量の差が、誰にでもはっきり見える分かりやすいモノであるのに対し、裕福な人間と貧乏な人間の考え方や価値観の差といったモノは目に見えず、誰にでも分かるような形をしていないからであろう。それに裕福な人間は貧乏人と比べて相対的に少数だから、裕福な人間や家庭に共通した考え方や価値観を、裕福な家庭によくある一般的なものとして感じるだけの機会に、なかなか恵まれないからであろう。

　ボクは大学に入って初めて、裕福な人間というものに触れた。自分より格段に裕福な暮らしをしている多くの友人たちと出会い、そして彼らを通して裕福な家庭の価値観や実情というものを垣間見た。そうして初めて

「世の中には、堅実にしかも豊かに暮らしている人間や家庭がたくさんあるのだな」

と知り、彼らの家庭と自らの親の振る舞いを比べることによって、

「貧乏人はとどのつまり、間違ってばかりいるのだな」

とようやく気づきはじめたのである。


　がしかし今になって思えば、それは不思議なことであった。

　大学の難しい入試をともに突破して来たという一種の同胞意識や、日本の各地から単身京都へやって来たという心細さもあっただろうが、そういう裕福な家庭の子女であるはずの彼らがなぜ、顔色の悪い、服装も安っぽい見るからに貧相で貧乏人のボクと知り合いになり、友達付き合いしていたのか。

　そしてまたなぜ彼らがわざわざ汚くて狭くて湿気の高いボクの部屋に集まって、平気で麻雀したり酒を呑んだりクリスマスパーティーまでしていたのか。

　そこには生まれた家も環境も生活水準すらてんでバラバラであるのに、そういう事を全く気にしないでワイワイ付き合える、まるで小学生のような賑やかさや明るさがあったのだ。

「金持ちだ貧乏人だと言っても、やっぱりみんな同じなんだな。同じような事を考え同じようなモノを食い、そして同じようなことで悩んだり失敗したりしているんだな」

　ボクはハムスターのように押し合いへし合いしながらそう思い、そして裕福というものが決して手に届かないようなものでも、貧乏が決して克服できないものでもないな、と思った。

　京大のような大学には、全国から様々な人間がやって来る。

　難しい試験をくぐり抜けてきたというたった一つの共通点を除けば、経済基盤も家庭環境も、文化も思想も、持ってるモノや常識すらも全く異なる連中が。

　そこでは物心ついてから長年培ってきたはずの個人の常識や文化など、まるで意味を成さない。

　言ってみればそれは単なる個人のクセでしかなく、隣に座っている者ですらまるで違った価値観を持ち、違った文化を持っているのである。そんな連中と知り合い、そして青年期の貴重な何年かを共に過ごし自分を一から作り直す。それが大学の良いところであり、厳しいところでもある。

　だがしかし、こと貧乏や裕福という問題となると、そうやって貧乏人と裕福な人間が同列に過ごしそして直に触れあうことができる場は、もしかすると大学のような場所と大学生という時代ぐらいしかないのかも知れないな、と最近ボクは思うようになった。

汚い下宿であってもそういう様々な人間が一同に会し、天下国家や宇宙や最新科学などの話から、くだらない話や下世話な話まで、様々な交流が平気でできるのは、もしかすると大学生ぐらいの年齢が最初で最後なのかも知れない。

　だから貧乏人は、無理をしてでも良い大学に行くべきだと思う。そして彼らと共に朝飯をバリバリ食い、大きな布団でぐっすり寝てみるべきだと、強く思う。たとえそれでどんなに惨めな思いをしようとも。たとえそれでどんな肩身の狭い思いをしようとも。

（了）
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